なぜしょぼい人間を選び続けるのか?

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某舛添の話なのだが、大方のメディアが伝えているような疑惑については興味はない。興味があるのは、何故、我々はこのような人間を選んでしまうかである。というのも選択の失敗はこの件だけではないから。最近の都知事選だけでも、我々は以下のような人間を選んできた。

名前は忘れた前都知事
名前は忘れた前都知事選に出馬した自衛隊関係者
そして某舛添

だ。

自衛隊関係者は当選したわけではないが、それでもかなりの得票数だったことは記憶に新しい。

選んでみたら、違法な献金を平気で受け取る輩。寄付で集めた選挙資金を下らない私的なことに平気で流用した人間。公的なお金を家族旅行などに平気で使える輩。そろいもそろったりであり、こうなってくると、彼ら個人の問題よりも、そんな人間たちを選んでしまう、いまの我々の思考方法が相当な危機にあると言える。

・都知事の選挙とヒットラーの選挙
ここに興味深い数字があるので、掲載してみる。*得票率は概算

ヒットラーが政権を取った1933年の選挙
ナチス:40%
社会民主党:20%
共産党:20%
極右政党:10%

某舛添が当選した前回都知事選
舛添:40%
宇都宮:20%
細川:20%
田母神:10%

面白いものだ。偶然の一致として片付けるわけにはいかない。ではこの数字から何が読み取れるのか。両方の選挙では、トップ以外の政党や個人に投票した人たちがどのような傾向があるのかは、だいたい読み取ることができる。それは候補者の考え方で選ぶ人たちだ。人々の考え方が多様なように、この人たちの投票傾向としては、特定の人物や政党に投票が集中することはない。

投票が集中した結果のトップであるが、これらの人間や政党に投票した人たちは、どのような傾向があるのだろうか。利害優先の考えだ。考え方の相違が色々とあっても、利害を最優先とすれば、人は集まるものだ。

・ヒットラーの大衆論
別の視点で考察を進めよう。別の視点とはヒットラーの大衆論だ。

弱い手段や半端な手段を受け入れないことを学んだ。推理よりは力に対する憧れに影響される女が、弱い男を支配するよりも、むしろ強い男に服従することを好むように、大衆は嘆願者よりも指揮者を愛するものである。

大衆には二種の敵を与えず、ただ一種の敵のみが押し付けられなければならないことを理解したらどうだろう!

上記のことが真実かどうかはわからない。そもそも大衆というのがはっきりしないから。しかしながら、選挙という大枠の中で考えてみると、ある種の真理だとも思える。例えば、某舛添だ。

強面で勇ましいことを言う。学歴をバックとした優秀な人間像。まさにヒットラーが言うところの大衆が付いて行くことになる、いわゆる指導者なのだ。そしてヒットラー自身がそうであったように、このような人間の本質は、表面とは全然違って、ある種の卑怯者である。ヒットラーの場合は、ご存知のように、自分が始めた戦争の後始末をすることもなく、自殺という現実逃避で終わった訳である。

・自民党と公明党には責任がないのか?
某舛添の考え方に賛同した人もいるだろう。その数字が仮に他の候補者と同じ20%だとする。これらの人たちは自分の考えで選んだわけで、裏切られたと発言してもそれほどおかしなことではない。強面につい惹かれてしまうなど、人の判断は難しいものだからだ。

問題となるのは、上澄みとなった20%に人間たちだ。これらの人間たちが、ここ数回の都知事選挙で間違った選択ばかりをしており、多分次回の選挙でも同じような間違いを起こすにちがいない。

先の都知事選挙をもう一度思い起こしてほしい。最初の頃は、自民党も公明党も積極的に舛添を押していた訳ではない。しかし途中からその流れは変わった。何故か。彼の人気が上昇しており、まさにバスに乗り遅れるな的な考えで、彼を支援するようになった。そしてそのような行動をとったのは、これまで与党としての利権を守ろうとしたからだ。簡単に言えば利益のために、彼を担ぎ上げたことになる。

・利益で選ばれた人間が最終的にやったこと
ヒットラーを取り上げてきたのは、何も話を面白くするためではない。利益中心で人を選ぶと、とんでも無いことになる代表的な例だからだ。ヒットラーを支援していたのは、経済界である。しかし、経済界が本心から彼を支持していたわけではない。逆に、本当は彼をバカにしていた。出来の悪い彼ならば、傀儡としてこちらの思うように動くと信じていた。彼を利用して、結局のところ自分たちの利益の確保あるいは伸長を狙っていたのである。

こんどの都知事選挙はどのようになるか。人気投票や利益確保のための選挙であるならば、某舛添的なことは、また次にも起こる可能性が大である。