推理小説の話:フォイル刑事の作者について

■Small Talk あるいは語り合い

山中 修さんの投稿 2019年3月29日金曜日

テレビへの興味を全く失った今、当然のことながらテレビなどを見ることは全くない。以前だと別段見たい番組があるわけでもないのに習慣としてテレビのスイッチを入れていたのだが、随分と馬鹿なことをして時間を無駄に使ってしまったと後悔する現在である。

ただ例外もある。それは韓国製のドラマと国営放送がたまに放映しているBBCのドラマである。

最近話題となっているのが、韓国映画がグラミー賞を受賞したことである。外国映画がグラミー賞そのものを受賞したのは初めてということだ。この映画自体はまだ見たことはないのだが、この話を聞いて少しも驚かなかった。韓国ドラマではつまらない家庭劇のようなものでもよくできているものが多い。映像表現の水準が高いことの印であり、そんな状況の中から出てきた成果だと言えるだろう。

英国ドラマの方はどうだろうか。最近で気に入っているのは、刑事フォイルである。原題は違うのだが、第二次世界大戦下でのイギリスの田舎が舞台であり、派手さはないが、雰囲気のあるドラマでありそこが好きなところでもある。

これまでドラマの脚本家という存在についてはそれほど興味がなかったのだが、この刑事ドラマの脚本家が推理小説も書いていることを知って、早速読んでみることにした。その脚本家とはアンソニー・ホロビッツである。すでに2冊は読んで今読んでいるのは3冊目。

このことからもわかるように、自分としては気に入った推理作家ということになる。ではこの作家の作品のどこに魅力を感じているのだろうか。全作品を読んだわけではないが、ここまでの読書体験からその魅力を語ってみたいと思う。

→次回に続く

言葉の遠近法

春いろいろ

山中 修さんの投稿 2019年4月30日火曜日

今ではもう絶対的な手法とは言えないが、絵画表現で重要な表現手段の一つとして遠近法というものがある。立体空間を表現するための手法であり、ダビンチからゴッホまで長い間西洋の画家はこの手法を活用して絵を描いてきた。

この遠近法の優れている点は、遠近法の規則にしたがって絵を描けば、芸術的な価値は別として、誰でもが立体的な絵画を描くことができる点である。

文章を書くことに苦労を感じている人が多い昨今である。文章を書くにも、絵画における遠近法的なものがあったら、どんなに素晴らしいことか。昨日の晩、本を読み終えて寝ようとした時に、そんな考えがふと浮かんできた。

遠近法のような文章の書き方があるとすれば、どのようなものだろうか。今朝起きてからもその考えが頭から離れない。

そして残念なのだが、それがすぐにわからない。何かあるのか。多分あるのだろう。今日はそれが見つからないだけなのだ。

伏見通り

伏見通りの2月
こんなに大きな通りに走る車もほとんどなく
影に隠れるその街並み

2月の空はどこまでも水色となり
白い線が浮かぶその灰色

推理小説を楽しむ

6月の終わり。梅雨空を川は静かに流れ。

山中 修さんの投稿 2019年6月29日土曜日

本を読むと言っても自分の場合は推理小説が大半である。ということでたまには推理小説の書評もして見たいのだが、やってみるとこれが意外と難しい。書くべきことに制限があるからだ。その制限とはご存知の通り、小説の粗筋的なことは書いてはならない、ということである。粗筋を書くとすれば当然推理小説で最も大事な事件や事故の謎を語ることになってしまうからだ。

すでにその本を読んでいる人には良いかもしれないが、これから読む人にとっては興味半減であり、もしかしたらその小説を読むことをやめてしまうかもしれない。出版社への営業妨害的な話でもある。

ではどうしたら良いのだろうかと思っていた時に、ちょうど良い具合に語りやすい推理小説が登場してきた。粗筋を語らなくてもある程度その本の魅力が紹介できそうな推理小説である。

国営放送のBSで番組を見たことがある人がいるかもしれない。

50代妖精論を笑う

春の小川

山中 修さんの投稿 2019年4月6日土曜日

年寄りが増えたからが原因なのか、最近は年寄りに向けての風当たりに厳しいものがある。まあ自分のような勤労社会から外れた人間にはどうでも良い話なのであるが、その馬鹿にする論も甚だしいので、ここであえて反論を試みてみたいと思う。

50代妖精論というものがあるそうだ。私も最近知ったこの言葉なのであるが、大した話ではなく、50代社員は給料が高いくせに全く働いていない、というものである。マスコミあたりが面白おかしく語っていることなので、本当のところはわからない。最近のマスコミなんて単なるデマゴーグ集団にしかすぎたいから。

マスコミ批判はこのくらいでやめておこう。熱が入ってキリがないから。50代社員不要論である。

この種の論調をよく読んでいくとわかるのは、いつもと変わらないコンピュータ使えない人間論である。つまりは若手はコンピュータが得意で老人社員はコンピュータが使いえない。これが根拠なのである。

考えてみるに、これはいつの時代の話なのだろうか。すでにパーソナルコンピュータが示す通り、特殊な職業以外の人がコンピュータを使うようになってから、もう30年以上は経過していることになる。50代の人間もその当時は若手であり、コンピュータが使えるようになっているはずなのである。

50代社員=コンピュータが使えない人間

このような図式はまさに時代遅れな発想なのである。次に考えるのは、ではいわゆる若手というのはコンピュータが本当に使えるのかどうかということである。まあ私としては、老人と同じ程度のコンピュータ能力程度の人が大半だとうことだ。馬鹿みたいに電車でスマフォをみている人間がコンピュータ能力に優れているというのならば、また自分が出しゃばる余地もないのだが。

メール、パワポ、ワード、その程度のソフトが使えるとしてもそれでコンピュータ能力があると言えるのだろうか。コンピュータ能力があると言えるのは、まさにプログラミング能力のある人間だけなのであると、私は考えるわけだ。

その点で言えば、年代に関係なく若手も老人社員も同じくコンピュータ能力がない人間ばかりであり、本質的に妖精社員にしかすぎないのだ。

 

FB活用方法

■打ち捨てられた小さい白い花に陽の光

山中 修さんの投稿 2019年7月16日火曜日

私自身の話なのであるが、どうも二者択一的な発想で凝り固まっているようだ。具体的なところで言えばウェブ活用について。自分サイトとFBでネット活動を展開しているわけだが、いつもどちらかに偏ってしまう。

自分サイトの運営に熱心な時はFBの方は疎かになり、また逆もそうである。同時的に運営できないのである。まあ大方の人もそうなようで、そのような問題を解決するために、一般的な方法も用意されている。自分サイトにFBをそのまま表示する方法である。

便利な方法であることには間違いないが、問題点がないわけではない。1番の問題はサイトの動作が鈍くなること。FB全体を読み込むので、反応がどうしても遅くなるのだ。まあこれは技術的な問題であり、サイト運営に関しては本質的な困難さということでもない。

最も大きな問題となるのが、自分サイトとSNSとのターゲット違いである。簡単に言えば、SNSで効果的な投稿記事がそのまま自分サイトで適切であるとは限らないことである。

あくまでも自分の場合なのだが、SNSと自分サイトではその目的は異なっている。FBはあくまでも友人たちに向けてのメッセージであり、そこに書かれているのは友人たちでなければ理解できないことが多い。であるから、それをそのまま自分サイトで公開するのは、よろしくない。これも日常生活で経験する位ことでもあるのだが、例えば酒の席の話。自分たちだけでわかる話を延々と聞かされたら、誰でも不愉快に思うだろう。それと同じことだ。

ではどうするのかというと、それほど大袈裟な話ではない。FBの記事の中でも一般的な話もあるはずなので、その話だけを選択的に自分サイトで表示させることである。そしてこの方法の便利なところは、特別な方法を全く必要としないことである。

具体的に話てみよう。

自分サイトで展開したいFBの投稿記事があったら、大概は画像も一緒に投稿していると思うので、画像を右クリック。ポップアップメニューが表示されれるので、「リンク先のアドレスをコピー」をクリック。自分サイトの投稿記事エディター(大概の人はWordpressを使っているのでその話)にペーストする(コマンド+v)これで完了である。

写真投稿の例で話をすると、写真、タイトル、反響の順で表示される。嬉しいのはこれはあくまでもリンクなので、この記事の例のように、自分サイトように新しく記事を追加することができるところだ。

自分サイトとSNSの同時運用は確かに面倒なのであるが、ここに紹介した手法を活用すれば、随分と楽で効果的な自分サイト運営が実現できるはずだ。ということで、真っ先に私地震が喜んで活用するようななっているわけである。

自分誕生日祝い

世界で最も美しい場所とコロンブスが言ったマルティニーク島のラム酒。フランス友人のお土産で大事にしておいたのだが、誕生日に託けて飲むことにした。後味の苦味がなんとも言えない深みを感じる。すでに半分。明日にはなくなっているのかもしれない。

山中 修さんの投稿 2020年2月8日土曜日

広尾で映像展開催

色々とメッセージ、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

山中 修さんの投稿 2020年2月8日土曜日

 

久々の映像展を広尾のMuCalで開催している。作曲家の佐藤慶子氏のオリジナル曲とのコラボレーション作品でもある。

今回の映像ではこれまでと作り方もテーマも変えて新しい分野へと挑戦してみた。雪舟の四季山水図長巻をバーチャル的に表現するものだ。

2020年2月7日〜2月23日:13:00〜18:30
詳しい内容は
e-mucul.com

広尾の日

今日は広尾に行った。展覧会の準備だ。
今日から始まる展覧会の準備。随分やっつけ仕事のようだ。

しかしそうではない。映像展。すでに映像は完成しており、映像映写の準備をするだけだから。

天井から吊り下げられた和紙に映像を映写する。特別に新しい試みであるわけでもないのだが、工夫と言えば、雪舟の水墨画の世界をVRとして表現したことだろう。多分これは未だかつて誰もやったことがないこと。別段自慢すべき話でもないのだが。

実際に映写された映像をみてみる。良いのか悪いのか、わからない。
自分の映像にすでに見飽きたのかもしれない。

準備を終えて、展覧会が始まる前に家に帰ってくる。今日は金曜日。
本当は作家は会場にいなければいけないのだが。落ち着かないので帰る。

今はやることがない。いつも展覧会の準備が完了する時に感じること。
またやるいことが自然と見つかるのだが、今回はどうだろうか。

このままやるいことがない時間を呑み下すだけになるのかもしれない。

それはわからない。そうだとして。

小さな団地風景

中野区から練馬区の石神井公園に引っ越してきてからもうそろそろ10年だ。中野区にも当然のことながら都営の団地があるのだが、石神井公園近辺の練馬区は、それに比べるととても多いような気がする。特に練馬高野台から大泉学園にかけての地域である。

まあそれはそれとして、今度保谷近く(練馬区の南大泉)に引っ越してきて発見したのが、この小さな団地であり、これを見ていっぺんに好きになってしまった。

自分のこれまでの経験からすれば、団地というのはそれなりの規模の建物で構成されていると思っていた。しかしこの小さな団地はどうだろうか。こんなものがこの世に存在しているとは、びっくりするものだ。

どのような人がどのような生活を送っているのだろうか。できるならば自分もこのような小さな団地に住んでみたいものである。