どうしてもオリンピック開催を強行したい人たちのために

私自身がそうなので人のことを批判することもできないのだが、どうも人は同じ失敗を繰り返すものである。その失敗であるが、代表的なものが、一度に多数の目標を追求することである。

この国の例としては太平洋戦争である。すでに日中戦争という泥沼にハマりながらも、米国などに戦争を仕掛けること。今からみれば呆れるばかりなのだが、当時の人たちにとっては最善の方法だと思われていたわけである。見込みが甘いのは、奇襲攻撃を行いながら半年程度で休戦に持ち込めると考えていたこと。

現在の新型コロナの状況を戦争に比較することは適切でない。勿論だが、考え方としては同じではないだろうか。新型コロナ対策とオリンピック開催を同時に目論むこと。同時に2つの目標を実現しようとする点では。

この先どうなるのかわからないのだから、IOCと密接に協力しながら、オリンピック開催に向けて鋭意努力している。この程度の発言で納めておけば良いのに、某都知事のような「ありえない」発言などは、とんでもないことである。大災害になるかもしれないこの新型コロナ対策に全力で取り組むべきときなのである。利害関係のない人ならば、当然このように考えるのではないか。少なくとも私はそうだ。

それでも東京オリンピックをどうしても開催したい人たちには、一つの秘策があるので、それを紹介してみたいと思う。予め断っておくが、とんでもない方法であって、開催強行したいのならば、それだけに相当の覚悟が必要であることが、この話でよくわかるであろう。

政府の専門家委員会が示した図を覚えている人も多いだろう。新型コロナの感染変化をグラフとして示したものである。この図であるが、別段この委員会が独自に考えたものではない。

https://hub.jhu.edu/2020/03/13/what-is-social-distancing/?mod=article_inline

20世紀初頭に新型コロナと同じような感染病が全世界に広がった。通称スペイン風邪と呼ばれるものだ。推定ではあるがこの感染病による死者は1億人を超えるとされ、現在の人口比率からすると、どうであろうか。日本では80万人が死んだことになる。

現在の医療関係者が最も恐れているのが、新型コロナがこのスペイン風邪の再来になるかもしれない、ということである。そして同時に頼りにしているのが、当時の記録なのである。

その記録とは、米国での2つの都市の比較である。ある都市では専門家の提言を受け入れて、現在のような対策をとった。すなわち移動制限や店舗の閉鎖などである。一方の都市では別段の対策を講じなかった。この違いである。

専門家会議が示したグラフはまさにこの2つの都市での感染者数の変化なのである。一方は急激な波となり、一方はなだらかな波となっている。対策を講じた都市が当然のごとくなだらかな波である。

ここでグラフに注目して欲しい。図の形ではなく、波が作るその面積である。面積が示しているのが、感染者数あるいは死亡者数である。

驚くべきというか残念というべきか、どちらも被害総体ではそれほどの違いはない。対策をするかしないかに関係なく、死亡する人数には違いはないのである。生物的な危機に関して、生物としての人類は生物的な対応しか、基本的にはできないのである。急激に感染者が増加した場合には、医療対策が崩壊してさらに被害を拡大する可能性はあるのだが。

オリンピックを開催するためには、専門家でもないので適当はことを言うわけだが、4月末ぐらいには、この新型コロナの感染状況あるいは被害状況を確定する必要があるのではないか。少なくとも開催国である日本では、感染者がほとんどいないかあるいは感染者の増加が限りなくゼロにしなければならない。

短期間で収束するためには、感染者数変化のグラフが示す通りに、急激に感染者を増やす必要がある。えげつない話をすれば、

この新型コロナに耐えられない人たちは死ねば死ね
新型コロナに耐えられる人たちだけが生き残れば良い

こんなことになる。新型コロナに耐えられる人だけが残れば、当然のごとくあっという間にこの感染流行は収束する。オリンピック開催を最大目標にするならば、

無為無策が最善なのである。

対策を施しても結果的にはそれほど違いはないのだから。

いまだにオリンピック開催を叫んでいる人間は多いのだが、

オリンピック開催のために、あなたは死んでくれと言うだけの覚悟があるのだろうか。君たちは。

歴史資料が示すように、急激に感染が広まれば、それだけ短期間に感染は治る。期間限定的な考えである限りは、こちらの方策しかない。
いや、実際このようなことをしているのではないか。オリンピック関連の話ではでしゃばって出てくる某都知事であるが、新型コロナ対策についは何を考えているのか、私には全くわからない。

まあ、あなたたちのために死んでも良いと思う人は一人もいないのでは。少なくとも私はまっぴらごめんである。