新型コロナ関連記事終了のお知らせ

まあ誰も期待しているわけでもないので、黙った終了したって問題はないのだが、自分自身への区切りとしても明らかにしておきたいことは、

新型コロナ関連記事をこの記事を最後にして止める

ということである。

本サイトで展開してきた新型コロナ肺炎関連の記事で予想したことはほぼ現実化した。嬉しくない結果だが。

新型コロナ関連の数字隠しでTwitterなどが大騒ぎになっているようだ。中身を見たことはないのだが、予想されるに、数字隠しはないなどの反論が多いのだろう。

行政が数字あるいは数値を意図的に隠している証拠はないが、その数値が日本の現実をある程度正確に反映しているとは思えない。なぜならば、これまでの発表されてきたデータは新型コロナ肺炎の感染者数ではなく、新型コロナ肺炎の患者数なのであるから。

しかし、それでもこの数値には意味があった。患者数に限定されていたものだから、諸外国の例を参考にすれば、その数値から逆算して、おおよその感染者数はわかるから。

その数値も本サイトの記事で明らかとしてきた。かなりの数である。そしてその計算が間違いないことは、最近の急激な感染者数の増加である。すでに感染者は社会に拡散しており、それが明らかな現象として出てきただけなのである。

特に問題となるのは、これからの数値には全く意味がなくなってしまうことである。

これからの数値とは何か。院内感染あるいは施設内感染の事例が続出している。まず関係者の一人が発病して、その関係者と関係ある人たちが強制検査を受けることになる。そこから感染者が新たに発見される。現在の数値のあり方である。

つまり、以前とは異なり、感染者数=患者数ではなく、

患者数+偶然見つけられた感染者数

である。このような数字では、傾向さえ掴めなくなってしまう。事実を推論する手段を私たちは失ってしまうことになるわけだ。

死者数があるのではないか。このような反論もあるだろう。確かに死者数は客観性のある数字である。しかし、推論とする数値を見つけることが不可能なのである。新型コロナ肺炎の致死率については、諸国で大きな違いがある。その違いがどこからくるのか。複合した理由があるのだろう。日本の現状でどの数値が使えるのか、それは不明である。中国、韓国?あるいはイタリア。結果として出てくる数値は恣意的なものであり、役立つデータではない。

客観的なデータがないところで、いくら注意深く記事を書いたとしても、所詮はデマゴーグにしか過ぎない。そこで、これからは自分自身としては新型コロナ肺炎に関する記事は書かないと決めたのである。

これからの記事方向は、この危機の時代にどのように暮らしていくのか、そちら方面に力を入れた情報に特化したいと思うわけである。

英国の失敗が日本の失敗になる時が迫ってきた

現在は違うのだが、新型コロナ肺炎対策で英国は独自の方法を実行していた。乱暴な言い方とはなるのだが、ごまかしなしに言えば、

死ぬ人は死ねば良い

こんな方策である。英国の肩を持つわけでもないのだが、聞こえほどでたらめな方策でもない。ちゃんとした考えがあってのことで、無責任な行動ではないのである。

この方策の具体的な中身はどうなのか。

なるほどこの新型コロナ肺炎は怖い伝染病には違いないのだが、感染したした人が全てひどい症状となるわけではない。感染しての症状が出ない人あるいは症状がごく軽い人も多い。感染が広がっていくと、重い症状の人も出てくるが同時に、新型コロナ肺炎に強い人も出現してくることになる。そして予想では強い人の方が多いことになる。

その結果はどうなるか。新型コロナ肺炎に弱い人が二人いたとする。AとBである。Aが感染すると通常ならばBがすぐに感染することになる。しかしすでにこのウェルスに強い人が多数いる状態だと、AとBの間にそれらの人が壁のように立ちはだかって、そして感染が防げる。

このような考え方である。

随分と乱暴な方法なのであるが、利点がないわけではない。急速に感染が広がるが、しかしすぐに収束する、このような利点だ。中国ウーハンでの感染の中身は知らないが、期待していたのは、このことである。実際、ウーハンでは感染は現在のところ収束しているわけだから。

しかし現実はどうであろうか。この新型コロナ肺炎が都合の良いものではないことが、イタリアの例で明らかとなったわけだ。つまり適切な防御策を講じなければ、コントロール不可能に陥って、死亡者の激増など社会そのものが崩壊する危険性も生じるほどなのである。

だから英国もこれまでの方策を捨てて、他の諸国と同じような感染者隔離政策を中心としたものに切り替えたのである。この切り替えがうまくいくかどうかはわからない。感染者も死亡者も急速に増えているのだから。

日本の場合はどうか。あからさまに以前の英国式方策をとっているわけではない。学校の一斉休校も早い時期に実施しているわけだから。しかし、予防的な新型コロナウィルス検査をしていない点では、拡散を抑える方策が不十分であることは間違いない。

そして今の状況である。感染源が掴めない事例が多数発生している。社会にすでに新型コロナウィルスが拡散してしまっている状態だと言えるだろう。このような状態では大雑把な対応しかできない。いわゆる自粛行動であり、行政からのお願いでしかないので、守らない人もいまだに多数だ。メディアなどでは目立つ場所しか伝えていないので、自粛行動が成功しているように感じられるが、実際はそうでもない。近所の桜並木などでは、これまでの年と同様に花見宴会が盛りである。

4月の頭ぐらいの週がどうなるのか。安心できる状態でないことは確かである。

都合よく利用される専門家の言葉

専門家の意見が大切であることは当然なのだが、受けてである私たちとしては、最近は専門家のその意見が都合よく利用されていることにも注意を払う必要がある。私たちの判断が間違った方向に行ってしまう可能性もあるからだ。

具体的な例で検証してみよう。先日発生した、千葉の施設での新型コロナ肺炎集団感染である。ある放送局のサイト記事では、話の概要と後に専門家のコメントが追加されていた。その内容は以下のものである。

施設のような場所では3つの密が発生しやすく、従って集団感染が起こりやすい。このような集団感染を防ぐには〇〇が必要である。このようなものだ。

コメント自体としては正しのだが、今回の新型コロナ肺炎関連では、専門家の意図とは違った効果があるので、それについて私たちは注意が必要なのである。

どのような効果なのか。私の思考の流れを辿ってみよう。この集団感染の話を最初に聞いた時、すぐに頭に浮かんだのは、新型コロナ肺炎の検査体制についてだ。

この千葉の例では、たまたま施設の関係者が新型コロナ肺炎の症状を示すことになり、それで施設全体のコロナ検査が行われるようになった。その検査の結果が多数の感染者の発見である。つまり、この患者がいなければ多数の感染者が野放しになっていた可能性があるわけだ。

そしてこれは何も施設だけに限ったことではなく、現在の状況はこのようなものではないのか。知らないうちにすでに感染者が多く発生しており、そのうちに感染が爆発的に広がるのではないか。このままの検査体制を続けて行って良いのだろうか。危惧である。

しかし、専門家のコメントが掲載されたことで、最初の印象は随分と違ったものとなる。つまりはこのような感染の広がりは、施設という特殊な場所でのことであり、それがそのまま社会的に感染が広がっていることにはならない。このような印象に変化するのである。

最近、諸外国からも日本の新型コロナウィルス検査に対して疑念の声が上がっている。検査数が少なすぎるのではないか、そのような疑念である。

確かに諸外国の感染状況から判断するに、日本国内での新型コロナウィルスの感染者の数は極端に少ない。特に日本の対策が優れているとは思えないので、当然の疑問である。なぜ少ないのかの理由は私は知っているのだが、これはまた別の機会に詳細する。

今問題となるのは、専門家のコメントを載せることで、それらの批判に対しての逆批判としてこの記事が機能してしまっていることだ。そして私たちに根拠のない安心感を与えることにもなってしまうのである。

この根拠のない安心感で、私たちがどのように行動してしまうのか。この記事を書いた当事者はなんとも無責任な人間なのではないか。いかにも某国策放送会社がヤリそうはことではあるのだが。

→ことの重大さに怖気ついたのだろうか。いつの間にか該当する記事内容が全面的に書き直されており、専門家のコメントも削除されている。

フェイクメディアはどこか

日本は本当によくやっている。新型コロナ肺炎の感染広がりを防いでいるのは日本だけだ。そろそろ集結宣言を出したらどうだろうか。

信じられないような妄言発言を最近ネットでよく見かけるようになった。ヘイト主義者が運営しているデマサイトならば、そのような発言があるのもそれなりに納得できるのだが。少しは何しれたビジネス系サイトでもそのような発言が多い。どうしたのだろうか。どんな意図が隠されているのだろうか。フェイクサイトに成り下がったサイトを探ってみることにした。

https://president.jp/articles/-/33932

題名自体がおぞましいのでここに書かないが、書いた人間は弁護士でK大学なんかの教授もしているらしい。詳しくは知らないが。肩書きは立派だが、私が判断するに、単に知識豊富でここまできた人間と言う感じ。思考能力に関しては、独自性もない典型的な、学業優秀人間なのではないだろうか。

記事のアウトラインは以下のもの。箇条書きにしてみる。

・全国一斉休校の措置を延長しないことを政府が決めた
・良い兆候である
・日本の検査数は少ないがWHOの指針にそったものである
・一方でなかなか検査を受けられないなどの批判もある
・死者数は人口比で圧倒的に少ない
・引用ー潜在的な感染者が多いと言うのは根拠のない話
・インフルエンザの流行を日本は抑えているので、新型コロナ肺炎でも同じことが言える
・観光船の問題でも最初世界中から非難されていたが、今では称賛の声が多い→役人の言葉の引用

最初に結論があって、その結論に合うようなことを都合よく貼り合わせた記事である。それにしてもわからないのは、この記事の意図である。

某都知事のように、不用意に人々の不安を煽るだけの発言もどうかとは思うのだが、同時にこの記事のように根拠のない安心感を振り撒くのも害が多い。

分析を始めてみようか。この記事を著者がどの時点で書いたのかはわからない。確実に言えることは、データをちゃんと見ていないことである。

発表されている国内感染者数がどの程度実情を反映しているのかはわからない。またその数値が多いのか少ないのかも判断しようがない。この著者は外国との比較をしてこの数値に意味を持たせているのだが(日本優秀!)、それもどうなのだろうか。

現在進行形の事態を分析する場合は、数字自体を考えることはそれほどの意味がない。重要なのは変化の度合いである。

変化の度合いを見る。基本であるが、それほど簡単なことでもない。教科書で見るような一定の度合いで増えていくような変化は稀であり、大概は増えたり減ったりを繰り返す波の集合となる。そして見る範囲により、その変化の様子も随分と違って見える。

この変化の度合いの変化をちゃんと見ていれば、そう簡単に日本素晴らしいなどとは言えないのがわかる。全体の傾向としては、次第に大きな波となっている。むしろ事態は悪化の方向を辿っていることがわかるだろう。

再度言うが、この著者は何が言いたくてこの記事を書いたのだろうか。何度かこの記事を読み返してみたのだが、いまだにそれはわからない。ただ言えるのは、このような記事を掲載したそのビジネス系サイトは、私の中ではすでにフェイクメディアの一つとなってしまったことである。

3月27日は不吉な日として記憶されるだろうか

国会でも平気で嘘をつく役人たちである。これら役人たちが発する情報などは私は一切信用していない。自分で調べ自分で判断する、現在のような新型コロナ肺炎が蔓延している状態では、これが唯一の安全策である。本サイトでの情報は全てこのスタンスによっての記事であり、役人などの情報を鵜呑みにしたものは一切ないことは確かである。

さて自然現象に対して数字がどの程度の意味があるかはわからない。しかし、数値の急激な変化は何かしらの現象を反映していることは確かである。新型コロナ肺炎に関しては、感染者数のその日の増加が100名を超えた時が、その変化の兆しである、と他国の例から、私が判断していることだ。

例えば韓国。今は収まっているようだが、一時期、感染者が急激に増えた時があった。その時期は記録によると、2月20日と21日の間に、感染者数の増加が100名となった。この時期を境にして、急激な増加となるわけである。前日までは50名程度であったのだが。

100という数字自体には意味はない。意味があるのは急激な増加である。そしてその急激な増加が持続すること。これが恐怖の数字なのである。

日本の場合はどうか。感染者数が他国に比較して少ないような感じを持っている人が多いだろう。よっぽどの日本国粋馬鹿野郎ならば話は別だが、裏があるのではないか、そのように思って当然の、異様な数字でもある。そして実際に裏がある数字なのだ。

嘘つき体質の行政が発表する数字などは当然まともな数字ではない。日本が感染者数として発表しているのは、正確に言えば、新型コロナ肺炎患者数なのである。新型コロナウィルスに感染している人の人数ではない。軽症の人や発症していない人は含まれていないのである。だから数字が極端に少ないのだ。

で、3月27日は感染者数の増加が100名を超えた日である。この日が何を意味するのか。これまで説明してきたことからもわかるように、これは恐怖が現実化した日なのである。

行政が隠しに隠した状況での増加数100名という数字は、とてつもなく重い。私自身も恐怖を覚える数字だ。何故か。また韓国の例で考えてみる。

韓国の3月23日時点での数値:
感染者数→9,037
死亡者数→120

日本の3月28日時点での数値:観光船データはわかりやすいように除く
感染者数→1,525
死亡者数→52

嘘つき役人でも流石に死者の死因を覆い隠すことはできないだろう。だから死者数はごまかしのない客観的な数値だとして考えると。

日本の致死率→3%程度
韓国の致死率→1%程度

驚くべき数値である。この実態に驚いたのだろうか、小賢しい役人たちが出してきた論法は、死者数は国の総人口との比較で考えるべきなど。馬鹿も休み休みいえである。国の総人口がなんの関係があるのだろうか。現実は現実であり、役人の粉飾体質などは、願い下げである。

数値が語ることは何か。日本では100人感染したら3人が死ぬ、その現実だけである。

韓国では感染者増加数が100から400になるまで一週間程度であった。日本の場合はどうなるのか。致死率が韓国の3倍もある現実が、重くそして重くのしかかっているのが、来週の土曜日で4月4日である。何とも不吉な数字ではないか。実際はどのようになるのか。まだ誰もわからない。

米国新型コロナ肺炎状況

https://image.cnbcfm.com/api/v1/image/106463547-158531463413420200327covidcountyhotspotsmap740.png?v=1585314648&w=740&h=416

危機に際して愚劣な指導者を持つことほど悲劇的なことはない。米国がその例の一つである。世界中が新型コロナ肺炎で苦しんでいるとき、あの札野郎はなんと言っていたのか。米国だけは、この新型コロナ肺炎とは無縁な国であり、それは私がうまくやっているからだ。実際は、チキン野郎だから、危機を直視することができないだけだったのである。その証左が現在の米国の状況だ。

本サイトの以前の記事を読んでもらえらばわかるように、米国の状況で私が最も恐れていたのは、内陸部の都市での感染の広がり具合である。確かな証拠があるわけではなく、あくまでも私の印象なのであるが。
http://moru55.com/?p=570

掲載した感染地図からもわかるように、米国内陸部の大都市で感染拡大がすでに発生している。ほんの数日前までは小さい点がまばらにあっただけなのに。

もう一つの懸念材料は、米国の東と西との違いである。大変大雑把な考え方ではあるが、西側はアジア圏と繋がりが深いところ。東側はヨーロッパ圏と繋がりが深いところであると言えるのではないか。

ここで私の持論が登場する。それはこの新型コロナウィルスには2種類あって、アジア圏で広がっているウィルスとヨーロッパ圏で広がっているウィルスとは異なる種類のものではないか、というものである。
http://moru55.com/?p=978

その根拠となるのが、同じ時期に感染広がりが明らかとなったニューヨーク州とカリフォルニア州との違いである。ニューヨーク州ではすでに危機的な状況であり、ヨーロッパ諸国と同じである。対策は同程度のものであるから、違いはウィルスの違いではないかと、思われるわけだ。

4月になれば、より事態ははっきりするだろう。残念ながらよりひどい事態になると予想されるのだが。

新型コロナは2種類?

某都知事の不用意な会見にも呆れるばかりなのではあるが、潮目が変わったというのは確かなことである。ではこの潮目はなぜ変化したのだろうか。以下は私素人の考えであり、特別な根拠はない。こんな考え方もあるのか程度に聞いて欲しいところである。

インフルエンザに何種類かあるように、今回の新型コロナウィルスにも何種類かあると、あるサイトに書かれていた。真偽のほどはわからないのだが、でたらめな情報を発信するサイトでもなかったので、真っ赤な嘘というわけでもないのかな、と私は判断した。

で、現在の世界状況である。センセーショナルな数字の発表が相次いでいるのだが、注意しなければならない点がある。それらの数字には共通性がないことである。例えば感染者数である。韓国の感染者数は日本より圧倒的に多い。数字だけ見れば、韓国の新型コロナ肺炎の対処は日本に比較して劣っているような感じを受ける。実際、そのように発言している人も多い。

しかし実情は全く異なる。韓国の感染者数はほぼ実態にあった正確な数字であると言える。日本の場合はどうか。発表されている感染者数のほとんどは新型コロナ肺炎の患者数なのである。つまりは、感染していても自覚症状が弱い人あるいは全くない人はこれらの数には含まれていないのである。

某都知事の考え方は、この把握できていない感染者がすでにこの社会には多数存在していて、その人たちを起点として感染が爆発的に増える段階に来ているというものである。だから無自覚症状が多いとされている若い人若い人と強調しているわけだ。

その考えは正しいかもしれないのだが、私は素人なりに別の考え方を持っている。それが新型コロナウィルス2種類説である。

当初、中国あるいは韓国が感染の中心地であったが、今や欧米が新型コロナ肺炎の中心地となっている。社会不安から多数の人が日本に帰国しているのが現状である。それ自体は当然の行為なのであるが、問題となるのは検疫体制である。この検疫体制が十分でないことは、すでに判明していることだ。これまでのことから。それから改善したのかどうか。していないであろう。通常通りの検疫体制。熱などの症状がある人だけを検疫するものだ。

数々の事例で、感染してから発症するまでの期間(潜伏期間)は人によりまちまちであることがわかっている。検疫所で症状がなく通り過ぎた人たちでも、感染している可能性があるわけだ。特に私が心配だと思っているのは、検疫所で感染したとわかった人が多くいることである。

飛行機という密閉された空間で、新たに感染者が発生したかもしれないし、当然のことながら新たに感染した人は症状を示すことなく、検疫所を通り過ぎることになる。そしてそれらの人が街中に出ることで、感染源となるのだ。

問題が多いことは確かだが、まだこれだけですめば良い。だが、私はもっと深刻な事態を予想している。ヨーロッパでの新型コロナウィルスと日本での新型コロナウィルスでは種類が違うのではないか。そして新たに持ち込まれたヨーロッパ型の新型コロナウィルスはヨーロッパと同じような事態をこの日本で引き起こすのではないか。そんな懸念である。

ヨーロッパと比較して特に日本の対策が優れているとは思えない。政府の対策にしても対策と呼べるものはほとんどない。発表された感染者数の少ないことから、人々の危機意識は他国に比較して低いと言わざるを得ない。

死亡率に関してはわからないが、感染力については、日本の新型コロナウィルスとヨーロッパのそれとは明らかに違う感じだ。ヨーロッパ型とも言っても良いだろう米国の例にしても。

新たな潮目とは、つまりのこと、このヨーロッパ型の新型コロナウィルスがこの日本で感染拡大すること。

上野公園など桜の名所とされるところでは確かに人では減ったのだが、近所の桜並木があるところでは、以前と同じような後座を敷いての花見宴会が行われている。多分宴会連中の中には、これで人生の桜の見納めになる人も多いのではないか、と私は危惧するわけだ。

自分そして大切な人を守るためのSocial Distancing

某都知事のメディア会見でもわかるように、役所などは人にお願いするばかりで自分たちは何をやるのか一向にこちらにはわからない。無策である。はっきりとわかったのは、このような連中をあてにしていたのでは、自分たちの生命すら危ういことである。買い占めに走っている人たちを非難する声もあるのだが、あの唐突な会見を聞けば、誰だって不安に思うだろう。自分の発言がどのような影響を与えるかも自覚できない行政の長では、もう話にもならない。

では私たちは何をすれば良いのか。新型コロナ肺炎に自分が感染しないと同時に他の人に感染させない行動をとることである。Social Distancingと呼ばれている行動のことである。簡単だがとても重要な行動なのだが、日本のメディアではほとんど伝えていない。素人見ないな人間たちが井戸端会議的な発言を繰り返している。このメディアも呆れるばかりである。

まあそんな話はどうでも良い。自分たちには関係ない人たちなのだから。今はそんなことを考えている暇はない。自分たちでできることに集中する時期だ。できること、それがSocial Distancingである。

どのようなことで実際何をすることがSocial Distancingなのか。最近よく言われているのは3密である。これは誤解を招く話なのだが、3つの密が重なり合ったところが危ないみたいに言っているのだが、現在のような状況では、それぞれの密で危険なのである。そろそろ重なり合ったところなどの表現はやめた方が良いだろう。

ここで抜け落ちているのが、個人としての行動である。Social Distancingで特に重要となるのが、人と人との間隔である。日本ではこの話がすっぽりと抜け落ちてしまっているので、人々がかなり危険な行動を平気で行っているのだ。

例えば電車の話。Social Distancingが徹底している国では、電車の座席も一つごとにばつ印が書いてある。人々が隣り合って座らないようにするためだ。日本では先にも書いたように Social Distancingの意識が希薄なので、相当空いている電車でもわざわざ隣に座って来るものもいる。これではどうしようもない。

人と人との間隔はどの程度がよしとされているのか。推奨されている距離は2メートル以上。これまでの感覚からするとかなり離れた距離である。そのくらいの距離を取らないと、今度の新型コロナ肺炎の危険性は避けることができないわけだ。

これも先に書いたことだが、3密の考え方は、ライブハウスの事例が出てきたからだ。間違ってはいないにしても、この3つが重なり合わないと危険でないような間違った考え方を伝えるものであり、ある意味危険的な情報でもあるのだ。

新型コロナ肺炎の基本は、あくまでもSocial Distancingであり、人と人との距離の取り方である。某都知事の不用意な発言で買い占めに走った人たちが多いようだが、これなどは馬鹿極まりない行動である。隣の誰かが感染している可能性が高い現在。そんな人混みで長時間いることは、まさに新型コロナ肺炎に感染しにいくようなものである。

これは私の昨日の経験なのであるが、桜並木を自転車で通っていたら、普段の変わらない花見客でごった返していた。歩いて通り過ぎる人が多いのならまだしも、後座を敷いて宴会騒ぎもあちらこちら。

早い段階で行政などがSocial Distancingの考え方を広めていれば、こんな光景はなかっただろうに。

他の人はどうか知らない。しかし少なくとも自分と自分の周りの関係者にはこのSocial Distancingを着実に実行していくつもりである。

都対応は残念ながら遅すぎたようだ

今更言っても意味のないことではあるが、本サイトでは随分前からオリンピック開催準備と新型コロナ肺炎対策を同時に狙うことは危険なことである、と主張してきた。

結局オリンピックは延期となったのだが、この間、都当局はオリンピック、オリンピックと熱心だったが、より重大である新型コロナ肺炎対策はどのようになっていたのだろうか。具体的な対策など何一つやっていなかったのではないか。

オリンピック延期が決まった途端、どうであろうか。某都知事などは新型コロナ肺炎に関して緊急会見などを開いて大騒ぎである。

騒ぐのはよしとしても、それならば何かちゃんとした対策も述べて欲しいところだ。ただ人々の恐怖心を煽っているだけでは、あまりにも無策である。第一、昼間自宅で仕事ができる人などは限られており、実行不可能な話をすればするほど、社会は混乱を招くばかりだ。

都知事選に向けてのアピール。いい加減にして欲しい。

残念ながら遅すぎたようで、ニューヨークのようにならないか、心配なところだ。

楽観と悲観の間で

世界で、4日間に10 万人の新型コロナ肺炎の感染者が増加した。恐怖を覚える数字であるが、数字が増えるのは悪いことばかりではない。事例が多くなることで、この新型コロナ肺炎に対して客観的に向き合える機会も増えることになるからだ。

事例が少ない時には、特に目立つことに目が行きがちである。悲劇的なので例として取り上げるのも申し訳ないのだが、例えばイタリア。この国の事例だけをみていると、新型コロナ肺炎は非常に死亡率の高い感染症となる。しかし韓国やドイツのように感染者数は多いが、死亡者の少ない国の事例もある。

新型コロナ肺炎は危険な感染症であることは間違いないが、パニックになるほどでもない。事例が多くなると冷静な判断ができるようになるわけだ。

利点と言ってはなんだが、事例が増えることには良い面もある。それはファクトに基づいた本当の専門家による記事情報が増えていることだ。

メディアなどによく登場するようになった感染症の専門家。能力を疑うわけでもないのだが、過去の知識が豊富というような専門家のような感じがしてならない。本サイトでもすでに述べているように、過去の経験がそのまま役立つとも限らない。変な先入観となってしまい、間違った方向をとる可能性もある。

未知の感染症に関しては、やはり今出てきているデータをちゃんと読み取れる専門家が必要ではないのか。メディアに出てばかりの専門家に果たしてそのデータを読み取り解析する時間がそもそもあるのか。

その点では、ネット上では信頼できる人たちの活躍が目立ってきているのは、喜ばしい傾向ではないだろうか。例えば山中教授が立ち上げた情報サイトなどだ。

https://www.covid19-yamanaka.com/

新型コロナ肺炎対策はこれからも続けていかなければならないものである。指針としての働きをこのサイトがはっきしてくれることを願うばかりだ。