電通の赤字について

弱っている人間あるいは企業に対して、ここぞとばかりに悪口を言い始める人間は多い。今回の記事は当然のことながらそのようなものではない。別段電通が好きでもないのだが。

考えてみたいのは、電通の赤字が私たちの生活の変化を象徴しているのではないか、ということである。メディア報道などでは、電通の赤字は海外事業の不振であるとされている。数字的には確かにそうかもしれないが、その内実は本当にそのようなものなのだろうか。

総務省かどこかが毎年発表しているのが、各世代ごとのメディア利用時間である。この調査が興味深いのは、年代によって各メディアの利用時間に大きな違いがあることだ。少し前の時代であったならば、各年代で各メディアの利用時間もそれほど大差はなかったであろう。テレビ、新聞、ラジオと雑誌。これらの利用時間である。

これが大きく変化したのは、もちろんネットの登場である。

例えば宅配の紙新聞。苦戦しているとは聞いたが、それがどのくらいの苦戦なのかは実感できていなかった。先の総務省の調査は衝撃的なものであり、例えば10 、20代が新聞を読む時間は1日あたり10秒から30秒ということである。つまりはその年代のほとんどの人間が紙新聞は読んでいないことになる。

新聞社の経営が続くのは現在50代の人間が生きている間だけであろう。つまりは2、30年後には新聞社のような存在は、消滅した商店街と同じようになるわけだ。

テレビはどうであろうか。その質の低さは驚くべきことであり、正直テレビなどはほとんど見ないのだが、病院の待合室などのテレビで放映されているちょっとした場面を見るだけで、気持ちがわるく私はなってしまう。

当然のこととして、テレビを見ている時間も各年代で大幅に減っている。今やテレビを見ているのは年寄りばかりなのである。

さてここで電通の赤字について。

そもそも広告代理店というのは新聞やテレビなどのいわゆるメディアとくっつくことで利益を上げてきた。テレビのcm枠を一般企業に売ることで儲けるわけだ。その癒着体質が顕著なのはいわゆるコネ社員。能力がない人間でもテレビ局幹部の関係者であれば、優先的に入社できるのである。

新聞もテレビも誰もが見なくなった現在、広告代理店が赤字になるのは、ある意味当たり前のことである。特に今年のオリンピックが過ぎてしまうと、事態はもっと悪化することが予想される。

では、このような変化で私たちの生活はどのようになるのだろうか。私としてはこれは良い方向ではないかと思っている。つまりは宣伝などに惑わされることなく、自分自身の判断で物事を選んでいく。そのような時代の到来である。自分自身の一回の人生である。他人に先導されて生きるほどつまらないことはない。