犬が星見た:武田百合子著

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「またここに来ることがあるかしら」
「恐らくないな」
1969年の6月10日から7月4日までの武田夫婦(泰淳、百合子)と竹内好氏による長旅の終わり頃に、夫婦で交わされた会話の一つです。

わたくしにとって旅というのは、どうも上の空的なところがあります。旅で出会う色々な事物に対して、ちゃんと見ようとはしないのです。なぜこのようになってしまうのか、その理由は自身でよくわかっています。つまりは、また次の機会に同じようなことを経験できるのではないか、そんなことを思っているからです。実際のところは、人生において同じことを経験することは、ありえない話です。例えば旅で同じ場所に行ったとしても、メンバーも違えは事情も異なり、それは全く新しい経験なのです。

「犬が星見た」は武田百合子氏による旅日記あるいは紀行文です。ロシア(ソ連邦時代)を中心として、スウェーデン、デンマークを回る長旅の記録。どのような旅なのか、まずはそのあらましを書くことにします。

武田夫婦と竹内氏が参加したのは、某旅行社が主催するツアーである。そのツアーの名前は、「69年白夜祭とシルクロード」です。その名前からもわかりますように、ある種途方もない旅行ツアーです。旅の事情には詳しくはありませんが、現在ならば実現しそうもないツアーではないでしょうか。*文庫本版には地図が掲載されているので、場所を辿っていくだけでも楽しみなものです。

横浜から客船で出発。津軽海峡を通過してナホトカへ。次の目的地であるハバロフスクには電車で向かいます。ハバロフスクからイルクーツクへは飛行機。ノボシビリスク、アル・マタを経由してタシケントへ到着しました。

随分と早足で回ってきましたが、本記事自体が旅行記ではありません。ここらで一休みして、武田百合子氏の本の中身にも触れておきたいと思います。どんな記述なのでしょうか。ーーーー以下引用文(タシケント空港の話など)

売店でウオッカを買う。1ドル90セント。絵葉書二組1ドル35セント。
どこへ着いても、何より先に酒を手に入れておくこと。……
酒の手持ちがないと思うと、思っただけで、あたりの景色は黒白、酒の手持ちがあると思うと、あたりの景色は天然色ーー主人はそう言う。
……
・ウオッカ二百グラム(特別注文。分量だけ持って来る)
・パン(直径二十センチ位の丸い平らなパン。まんなかに胡麻がついている。この丸パンがいく枚も積み重ねてある)
・ねぎの青いところを刻んで敷いた上に、赤黄色く熟したトマトの薄切り。塩をかけて食べる
・うどんと肉のケチャップ炒め
・アイスクリームーーーーーー以上引用終わり

わたくし自身は旅日記なるものを書いたことはないので、どうなのでしょうか。買い物や食べ物を記録することが普通なのかどうかはわかりません。話は急にかわりますが、以前京都で池大雅の展覧会を見たところがあります。そこで驚いたのは、大雅が浅間山へスケッチ旅行した記録が展示されていたところです。旧字なので詳しくはわかりませんが、買ったものか食べたものかについて、細かい金額が書いてありました。

その時まず頭に浮かんだのは、江戸時代の人はすでにわたしたちと同じ近代人であった、と言うことです。別段理由があるわけではないのですが。

もちろん、百合子氏のこの日記本には買い物や食べ物ばかりではない記述も多いのですが、記録的なところが妙に魅力的で、旅の中に引き込まれるような効果を発揮しているのではと思います。

単なる旅行記ではなく、小説家である武田泰淳氏と中国文学者である竹内好氏が登場して来るのも、この本の楽しみなところです。それもこんな風な役回りで。ーーー以下引用

武田「俺、エジプトに行ったとき、17歳かってきかれたからな」
私「若く見えたからじゃないよ。まだ、これから背がのびると思われたんだ」
竹内「武田はすぐ好かれるからな。これはいいことかどうかわからんよ」

ーーーー以上引用

文学者の難しい話というよりも、ある種のたわいのない雑談的なもの。ただしこのような雑談的なものは他では知ることはできないので、そこがまたこの本の魅力でもあります。

さて旅が中断してしまいました。そろそろ次の目的地であるサマルカンドです。わたくしとしては多分というか絶対に行くこともない土地ですが、何故かしら子供の時から名前が好きな場所です。本書は旅日記として面白いだけではなく、一種の旅の指南書的なところもありますーーーー以下引用文

私もそうだ。いま、どうしてここにいるのかな。東京の暮らしは夢の中のことで、ずっと前から、生まれる前から、ここにいたのではないか。

丁寧に刺した絨毯を敷きつめた遊牧民族のパオ。パオの中にしゃがんで、絨毯を触っていると、地元の人たちの一団が私をとりまく。十歳ぐらい少女を前に出して、口々に言い合っている。少女は私が見ても私に似ている。私というより私のちいさいころの写真に似ている。ーーーーー以上引用終わり

中央アジアのいち都市。百合子氏の容貌。上記エピソードの要因ですが、それだけではありません。どの場所に行っても、現地の人たちとの奇妙でおかしい交流が記録されています。これにはやはり氏の心持ちが大きな役割を果たしている感じがします。

わたくしなんかは、旅は逆にいつまでも夢の中の話であり、東京での暮らしが本物である意識が抜けません。ですから、チャンスがあったとしても、現地の人との交流はほとんどなく、そして旅の記憶として残っているのは、ただ場所のみなのです。百合子氏のこの旅日記を読むと、自分のこれまでの旅が本当につまらなく感じるものです。旅先ではもちろん危険性もありますが、それに注意しながらも若い人などには、ぜひ氏の態度を見習って、今後の旅に活かして欲しいところです。

旅はまだまだ続くことになりますが、残念ですが、記事としてはこのくらいでお終いにしておきたいと思います。続きはこの旅日記をご自分でお楽しみください。

旅にはいつもある種の寂しさがあるものです。武田百合子氏のロシアを中心とした旅もその例外ではありません。そもそも、この旅はどのような話で行われるようになったのでしょうか。武田泰淳氏の言葉を引用しておきます。ーーーー以下引用。

竹内と百合子と俺で旅行しておきたいと思ったんだ。それに三人でいけるなんてことは、これから先、まあないだろうからな。ーーー以上引用終わり

犬が星見たに書かれていることで印象に残っているのは、日本へ帰る際の飛行機内での出来事。武田泰淳しと竹内好氏は、ありがとう(スパシーバ)、どういたしまして(パジャールスタ)を繰り返していたとのことです。

実際に、泰淳氏にとっては、三人だけでなく旅そのものが難しくなってしまいました。帰国後の病気により。そして昭和51年(1976年)に死去。同じ年に竹内氏もなくなりました。そして著者である武田百合子氏は1993年(平成5年)。

この本のあとがきに百合子氏は「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう」と書かれていますが、今は無事に合流してまたどこかで楽しい旅を続けているのかもしれません。

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