あいまいな日本の私が予言したこと

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米国大統領の訪日に関して、意図的に盛り上げようとしていたメディアの能天気ぶりには、呆れる人も多かったのでは。そんな能天気ぶりを打ち破るような悲惨な事件が登戸で月曜日に発生しました。登戸弱者大量殺傷事件。日本の現状はそれほど甘くないと思い知らされた事件でもあります。

あまりにも悲惨な事件なので、この事件について直接的に語ることは今回はやめておきます。犯人も自殺しており、動機も未解明なままただただ悲しみが残るだけです。

以前、川端康成氏のノーベル文学賞受賞記念講演について、若干の感想的な記事を書いたことがあります。この後間も無くして氏は自殺してしまう訳ですが、改めて受賞記念講演を読んで思ったのは、これは氏の遺書ではないかということです。当時は、なんか訳のわからない文章だと思っていたのですが。

先のことは誰にも予想はできません。しかしながらこんな事件が起こってしまうと、どうしても何か考えるヒントでも欲しいところです。そこで頭に浮かんだのは、ノーベル文学賞の日本人二人目の受賞者である大江健三郎氏の記念講演です。当然のことながら、小説家は預言者ではありません。しかしながら、わたしたちのように社会にどっぷりとつかった存在でもなく、外からの視点を持っているといえます。その外の視点を求めて、というのが氏の記念講演を読んでみようと考えた理由です。

「あいまいな日本の私」(岩波新書)は、記念講演を含め、ノーベル賞受賞前後の講演会記録をまとめたものです。大江氏に関しては小説や評論的なものばかりを読んでいて、しかもそれはつい最近になってから再開したものです。ノーベル文学賞を受賞したのが、1994年。その頃にはすでに私はコンピュータの世界へ入り込んでおり、小説などの文芸作品を読む世界からは全く離れていた訳です。少なくとも20年間以上でしょう。

まあこの話をしているといつまでも終わりませんので、本題に戻るとしましょう。「あいまいな日本の私」講演会記録集で特に私が興味を持ったのは、ノーベル文学賞受賞記念講演と上智大学で行われた家族のきずなです。最初に記念公園についてお話ししてみようと思います。

情報とは面白いもので、こちらが意識していなくても自然と耳に入るものです。ただ困るのは、その情報が正しくない場合が多いことです。大江健三郎氏の記念講演もその一例です。わたくしがずっと思っていたのは、この記念講演は川端康成氏への批判だ、ということです。今回初めてその中身を読んでみたのですが、批判的なことを大江氏が言っている訳ではありません。ただ自分は立場が異なる。実際はこのようなもの。立場が異なることを表明するのが、そのまま批判であると判断するのは、短絡的な思考であると言えます。

この記念講演でわたくしが注目するのは、大江氏が理想とする人物像あるいは作家像です。上品な日本人であり、特に強調しているのが寛容についてです。またこんなことも述べています。「人間が思い込みや自分が作った機械の奴隷になりがち」。

先にも書きましたように、小説家は預言者ではありません。しかし、小説を書くことで、時には時代を先取りする能力を発揮する場合もあるようです。どうでしょうか。まさに今の時代がこのようになっていること。氏が賞を受賞したのは1994年。25年前です。TwitterなどのSNSをみてみればすぐわかるように、氏が理想とした寛容な社会とは程遠く、また思い込みで発言する人が如何に多いのか。ある意味氏の予想が悪い方向で実現していると言えるでしょう。

登戸大量殺害事件の犯人の特異な家庭環境が注目されています。先に断っておきますが、同じような環境で育った人も、ほとんどが真っ当な人生を送っています。家庭環境=犯罪人を育てると考えるのは、これもまた短絡的な考えです。

それよりも、一見普通に見える家庭に潜む危険について、私たちは思いを巡らせる必要があるのでは。もう普通になってしまった家庭内での虐待死。この虐待死が外に向かったものが今回の事件の要因だとも言えるのではないでしょうか。

「あいまいな日本の私」講演記録集に収録されている「家族のきずな」はその点でも示唆に富む講演だと、わたくしは思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、大江氏の長男は脳に障害を持って生まれてきました。6歳まで話すこともできなかったのですが、鳥の声を聞いてあれは〇〇です、と突然話すことをはじめました。それまで聞いていた、NHKの鳥の声のCDを長男(光氏)が聞いており、まさにNHKアナウンサー的な声色で話たということです。

大江氏の意識としては、私の子供理解し、子供の側に立って生きていこうとして来た、と思っていたのですが。氏自身で自分の書いて来た小説を読み直してみると、実はそうでもないことに気がつきました。結局のところ、この子供を支配して来たのが自分だ、という訳です。

この講演で特に面白いと感じたことが、氏の言葉で続きます。持病である痛風が悪化して、歩けなくなりソフアで横になりながら本を読んでいました。大江氏が。そしたらば急に光氏が元気となり、周りと飛び跳ねて、時には痛風で痛い大江氏の足に乗っかって、大江氏が痛がるところを楽しむようになりました。うるさい親父が倒れたことで、自分がこの家の一番になったということなのでしょう。

痛風が治ってくると、光氏はもとのように静かに。ただ、父親と仲違いすることがあると、大江氏の足に向かって仲直りのシグナルと送るようになったとのこと。

つまりは、本当のところ、大江氏が長男を含む家族全体を支配していた訳です。この家族構造から脱却するには、ではどのようにしたら良いのでしょうか。親が子供を見下ろし、子供が親を見上げる構造。この構造と違ったものとして氏が提案するのは、親と子供が一緒に何かしらを見るあるいはある方向を一緒に目指す、というものです。何を見るのかあるはどの方向かは、家族それぞれで異なりますが、この一緒にある種の理想を追い求めるのが、解決策になるのではないか。氏の体験から来た結論的なところです。

ここで思い起こされるのは、池袋プリウス暴走事故の加害者である飯塚老人に対するSNSを中心としたひどい非難の嵐。非難する気持ちもわからないではありませんが、知らない人に対してこうも熱中して非難できるのか、そのことはわたくしは到底理解できないことでした。しかし、大江氏のこの話を聞いて、ある意味納得できるようになりました。

長男である光氏が大江氏が歩けなくなると、大いに喜んで家中を走り回ったとのこと。SNSでの発言者の多くも、このようなものではなかったのか。飯塚老人=上級国家公務員=支配者、このような図式を子供の頃からの自分の経験と重ね合わせた反応。支配者が倒れたことで、これまでの鬱憤を晴らすような猛烈な言葉が、自然と口から出て来たのでは。

ちょっと重たい話とはなりましたが、「あいまいな日本の私」講演会記録集はシリアスな話ばかりではありません。実際に大江氏の講演を聞いてみたくなるような楽しい話が中心です。笑いながらもちょっと立ち止まって自分自身で考えるきっかけとなる。引退宣言をしてから随分と時が経ちましたが、また大江氏の声を聞いたみたいと思っている人も多いことではないでしょうか。

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