漱石と万年筆の不思議な関係

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そんなことを知ったからといってどうにもなるものではないですが、わたくしの個人的に興味があるのは、小説家などの文章家がどのような環境で、小説や文書を書いているかです。環境とは別段書斎などではなく、具体的に言えば、筆記具や紙あるいはノートなのです。まさ最近では多くの文章家はコンピュータのキーボードを使っているとは思いますが。

本サイトでもすでに何回か書いていることですが、去年の2月まで、小説類は一切読んだことがありませんでした。若い時はそれなりに読んでいたのですが、30代の半ばごろから読むのをやめてしまいました。なぜやめてしまったのか、今でのその動機も忘れてしまいました。それからは読む小説というのは推理もの。これも英語の勉強を兼ねての話なので、楽しみとして小説読みは、もう数十年も中断していた訳です。

そんなわたくしが何故再び小説などを読むことになったのか。詳しい話はまた別のところでしようと思いますが、藤沢周平がいつも使っていた小さいノートをみたのがきっかけです。小説を読むこととは直接的には関係ないことなのではありますが、わたくしにとっては大きなきっかけになりました。

そのことの影響でしょうか。その後多様な本を読むことになりましたが、やはり興味は、どんな道具(文具)を使って小説などを書いているのかとなります。残念なのは、意外とこのことに関して作家の口は硬いというか、それほど価値を置いていないというのか、あるいは楽屋裏を晒すのがやなのか、実際のところはわからない場合が多いのです。

そんな感じで小説家の道具を知ることを諦めていたところ、漱石の随筆的な文章に万年筆のことが書いてあるのを発見しました。それもかなりの詳しさなので、ここで紹介したいと思います。余計な話かもしれませんが、自分的な話も交えながら。

コンピュータで書くか、ノートと筆記具で書くか。職業的に文章を書く人が迷うのは、まずこの点でしょう。わたくし自身としてはすでに30年以上もコンピュータで文章を書いていますが、いまだにこの悩みが頭をもたげてくることがあります。なるほど最初の頃は、コンピュータを使って文章を書くと、頭の動きと今書いている文章との間に隙間があって、何か手にグローブをはめて食事をしているような感じがしました。しかしこれも慣れであり、そんな感じもいつしかなくなりました。

ですから、コンピュータで文章を書くことについてはなんの違和感もないはずですが、時たま、ノートと筆記具を使って文章を書きたいと思うことがあります。漱石の場合、面白いのは漱石の時代でもこのようなジレンマがあったことです。漱石であるならば、ノートと筆記具を使った文章作成は、ペンとインキ壺を使ってのもの。コンピュータが万年筆に相当する訳です。

漱石の万年筆の話で面白いのは、現在のわたくし達の目からして、なんで万年筆一本を使うのにそれほど苦労をしなければならないのか、ということです。漱石の悪戦苦闘はどのようなものか。少し長くなるかもしれませんが、引用することにします。

ーーーーーー以下引用

不幸にして余のペリカンに対する感想は甚だ宜しくなかった。ペリカンは余の要求しないのにインキを無暗にぽたぽた原稿紙の上へ落としたり、又は是非墨色を出して貰わなければ済まない時、頑として要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤も持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。不精な余はインキがなくなると、勝手次第に机の上にあるどんなインキでも構わずにペリカンの腹の中へ注ぎ込んだ。又部リューブラックの性来嫌いな余は、わざわざセピア色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑ました。

ーーーーー以上引用

使い方がわからないというよりも、随分と自分勝手な使い方で、ペリカンも随分と苦労した話です。ただ漱石が面白いと思ったのは、これほど苦労も感じながらも万年筆を諦めることもなく、ついてには原理な筆記具として随分と重宝しながら使うようになったことです。多分ですが、コンピュータ以前の時代は、小説家といえば、万年筆と原稿用紙ですが、その風潮は漱石あたりから始まったのかも知れませんね。

さてわたくしごとである、コンピュータとノート+筆記具の争いはどうなったか。意外と簡単に結論がつきました。すなわち記事には必ずイラストをつけることとして、こちらのイラストをノートに書くことにした訳です。もしわたくしと同じような悩みがある人がいたならば、どちらか一方に決めるのではなく、両方使うためにどのようにしたら良いのか、考えてみたらどうでしょうか。

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