日本国紀と盗作問題

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盗作騒ぎというものは、なぜか定期的に起ることのようです。最近もネット上では盗作騒動で大騒ぎとなっています。別段、その本を書いた人間を擁護するつもりは全くありませんが、実のところ物語的な本について、それが盗作かどうかを判断するのはとても難しいことです。他人が書いた文章をそのまま書き写す人間もいましたが、それは特殊な例であり、それは盗作騒動とは言えません。本来の盗作とは、他の人のアイデア(本の構想)的なものを無断借用するものであり、ある文章が他の人の書いた文章と似ているかどうかなどは、枝葉末節な話なのです。もちろん、職業作家として他の人の文章を真似るとは、非常に恥ずかしい行為ではありますが。

過去の事物をテーマとする小説には2種類あります。歴史小説と時代小説です。歴史小説の場合は、過去に実在した人物や事件を題材としたもの。時代小説は、ある時代を背景にして、作者が己の想像力を駆使して自在に語る架空の物語です。

歴史小説の場合は、実在の人物や事件を題材にしていますので、できる限り信頼できる資料を調査して、そこからわかる事実をベースとして話を展開します。ですから、本能寺の変の原因は、明智光秀が信長の子供だったという話は、全く歴史小説ではありません。では、歴史小説の場合での小説家の役割とは。過去の資料で事件の内容はわかるにしても、その事件を起こした人物、例えば明智光秀の本当の動機はわからないものです。動機について作者独自の解釈を加えていく。この辺りが作者の活躍する場所かもしれません。その他、あまり知られていない事実を明らかにしていく。これなども歴史小説の役割でしょう。わたくし自身として歴史小説を書いたこともないので、勝手な推論ではありますが。

時代小説の方はどうでしょうか。先にも書きましたように、ある時代の社会環境を背景として、作者が自由に語る物語です。ですから、現在の小説と質的には同じものと言えます。ではなぜ現代小説ではなく時代小説を書くのか。残念ながらわたくしには時代小説家の本心のところはわかりません。

歴史小説や時代小説など、作られたものには必ず批判あるいは批評というものがあります。歴史小説の場合の批判だとしたら、例えば、作家が小説の根本資料としているのは南禅寺の〇〇資料だが、それは江戸時代に作成された偽文書。だからこの小説は意味がない、などということになるでしょう。事実かそうでないかが争点となるわけです。時代小説の場合はどうでしょうか。

江戸時代にこのような人物がいるはずがない。こんな批評をした文芸批評家は単にバカにされるだけで終わることでしょう。時代小説での評価ポイントとなるのは、歴史小説と異なり、そこで描かれていることの真実にある訳ではありません。小説としてのできの良し悪しだけが、評価となるだけです。優れた時代小説家となると、時代背景を単に借りてくるだけでなく、その時代特有のもの(人々の考え方など)を小説世界に反映して、想像的でありながらもリアルな現実感を実現しています。

さて現今の盗作騒動です。先にも書きましたように、創作での盗作判断は難しいものであり、どの箇所の文章はネットのこのサイトから無断引用であるなどは、それほど大騒ぎすることでもありません。それよりももっと重大なことは、この本が時代小説なのに、歴史小説あるいは歴史書みたいに解釈されていることです。この本に賛同する人もまた反発する人も、同じく間違っている訳です。

ロンドンのベーカー街を探して、ホームズの家あるいは事務所が見つからないで怒った人が多数いたそうです。なんとも間抜けな人たちとわたくし達は思うでしょうが、まさにわたくし達の多くは、ホームズ探索家と同じようなもの。作家の単なるファンタジーなのに、それを真実と取り違えて、賞賛したり、ひどく反発したり。

令和の改元を機会として、わたくし自身として日本の歴史を自分なりに再読してみました。面白いことこの上なしです。この楽しみを、どうでもよい他人に引き渡して良いのか。ネットで探せば色々と興味深い話も知ることができます。つまらない盗作問題に関わっている時間があるのならば、ぜひ自分自身での日本歴史旅行に出発して欲しいものです。余計なお世話かもしれませんが、本当に楽しいよ。

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