大津事件が本当に怖いのは

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急に玄関から飛び出していった自分を心配して追いかけてきたのだろうか。どうしたの、と後ろから妻の声が聞こえた。振り返ってみると、涙でいっぱいの妻の顔があった。わかっているんだよ。こんな包丁を持って相手の家に乗り込んだとして、何もできないのは。でも、何かしていないと、心が苦しくて苦しくて。ブレーキさえ踏んでくれていれば、こんなことに。悔しくて悔しくて。そう、あの子が一人で待っていて寂しいから、帰ろ。妻が静かに言った。

最近の事故を巡るマスコミを交えた馬鹿騒ぎは、わたくしには本質(本当のこと)から目をそらすための陰謀のようにしか見えません。その陰謀が意図的とまでは言いませんが。

「薔薇の名前」で有名な記号学者で作家のウンベルト・エーコ氏が陰謀について的確に説明してくれていますので、まずはその説明を引用しておきます。

ーーーーー以下引用

あらゆる陰謀論は、人びとの想像力をありもしない危険のほうに向け、実際の脅威から関心を逸らすものだ。

ーーーーー以上引用

大津事件に関して言えば、話の主題はいつの間にか幼稚園側に行っています。記者会見の話。そしてGoogleマップの写真まで持ち出して、幼稚園側の安全対策についても報告しています。流石に幼稚園側の安全対策に問題があったなどの、議論にはなっていないようですが。

評価するにしても批判するにしても、そもそも幼稚園側の安全対策自体を取り上げるのが、陰謀だとわたくしは言っている訳です。もし幼稚園側の安全対策が問題となるとしたら、それは例えば、嵐の日に散歩に出て琵琶湖に園児が流されたりなど。幼稚園が何かの行為を行った場合だけです。信号待ちしているのが、なぜ安全対策と関係があるのか、わたくしには到底理解できないことです。それを言うならば、池袋プリウス暴走事故の犠牲者が横断歩道を渡っていたことも、問題ありになってしまいます。つまりはなぜ左右の安全確認をしなかったなど。バカも休み休みでは。

ではこの陰謀まがいの騒ぎで、何が隠されてしまうのか。社会の基本ルールの崩壊です。すでにわたくしは別の記事で、同じような主題を扱いました
*未来予測のできない人たち
そこでの記事で主な対象としたのは、バイトテロのこと。あとで大きな騒ぎになることを承知でなぜこのような意味もない悪ふざけをするのか、わたくし自身としては理解できないことの理由を探ってみた訳です。

話はここでちょっと変わります。わたくし自身の個人的な興味で、世界史上の強国の没落について研究しています。歴史の素人でもあるし、別段どこかで発表するつもりはありませんが。

エジプト、中国の古代から始まって、世界史上にはいくつもの強国が登場しそして没落していきました。ギリシャや古代ローマ帝国。スペインの無敵艦隊であり大英帝国など。最近でもソ連邦の崩壊の例があります。

没落の原因となるものは、それぞれで異なり単純化できるものではありませんが、何かしらの共通点があるように感じるのも確かなことです。度重なる災害や事故。例えばソ連邦の引き金となったチェルノブイルの原発事故。そして強国の人びとの度重なる判断ミスです。ギリシャなら、没落を決定的にした、アテネとスパルタの戦い。ローマ帝国の東西への分裂も同じものと考えられます。

強国の人びとが自ら望んで没落したわけではないことは、確かです。しかし、ハーメルンの笛吹き男についていった子供達のように、没落に引き寄せられるようになっているのが興味深いところです。人びとの全般的な思考能力の低下、そんなところに原因があるのでしょうか。まだまだ研究途中なので、わからないところです。

さて、大津の事故に話を戻します。わたくしがこの事故で恐怖を感じたところは2点。
・よく注意もしないで右折してしまったこと
・ぶつかりそうになってもブレーキを踏まないこと
これです。

運転している人には常識ですが、交通事故の場合は、責任比率というものがあります。どちらがどの程度の過失責任があるかどうか、です。どちらかが100%悪いというのは、停車中の車に後続の車が衝突した場合ぐらいです、大概の事故は両者に責任があるとされます。

今回の大津事故では、青信号での交差点の車同士の衝突。事故を起こした原因は右折車にありますので、より責任があるとして、こちらは逮捕されました。直進車の方も最初は逮捕されましたが、その後釈放されています。
*後述しますが、車両同士の事故としは直進車の運転手の責任は軽くなるかもしれませんが、民事裁判になったとき、ブレーキを踏んでいないことは相当問題視され、厳しい判決になるかもしれません。

交通事故処理に関しては、警察当局の扱いは真っ当なものだと思います。問題は、社会的な視点で検討してみたときです。特にブレーキ跡がないこと。

今も昔も変わらないと思いますが、自動車教習所で教官が特に強調していたのは、ブレーキが第一だということです。今から考えてみると、運転手に絶対条件を突きつけているようもの。事故が起こったときは自分が死ぬことを選べ、です。教習中もわたくしなどはこのことを忘れて、道路に障害物などがあると、ブレーキを踏むのを忘れてハンドル操作で避けようとして、なんども教官に叱られたものです。

ですが、これは当然のこと。ブレーキもかけずに急ハンドルを切ることは、それは目をつぶって運転しているようなものです。自動車の衝突以上の大惨事を招く可能性もあるわけです。そして今回の大津事故です。

直進車も大してスピードを出してはいないとのこと。つまりブレーキをかけて右折車にぶつかったとしても、怪我はするかもしれませんが、多分命には別状はなかったでしょう。特に最近の車は運転者最優先での安全機能が充実しているので。

言葉は厳しいようですが、亡くなられた園児の親御さんなんかは、どうせなら運転手が信号灯の柱にぶつかって死ねばよかったと思っているのでは。悲しみだけではなく、恨みを持ってこらからの人生を歩まなければならないのは、とても辛いものです。気持ちが晴れる時がないのです。

事故にあったときは、ブレーキを踏む。運転手ならば当然の反応なのになぜできないのか。当然のことができない。これは大津事故の当事者だけではなく、もしかしたらわたくしたちもこのようになっているのでは。まさに未来予測能力が欠如した状態。もう、Twitterなどで自慢げに発言しいるほどの余裕は、残されていないかもしれません。

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