消えた漱石の遺骨

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漱石の息子である夏目伸六氏の「父・夏目漱石」を読みました。個人的な好みではありますが、私は作家のエッセイ的な文章が何よりも好きです。気になる作家が目の前に登場してくると、まず読むのはその作家の小説よりもエッセイ的な文章です。大雑把な言い方ではありますが、そこには人間が描かれている、主な理由です。

さて本書「父・夏目漱石」です。作家の身内(妻、旦那、娘や息子)による作家の思い出話的な本はいくつか世に出ています。身内だけにしかわからない、作家のある一面がわかって面白いのですが、単なるエピソードの積み重ね的な内容が多いような感じを受けています。全部を読んだ訳でもないので、的外れな考え方かもしれませんが。

「父・夏目漱石」が身内本一般と異なると私が思うのは、本書が一種の文芸評論として成立していることです。単なる父親の思い出話ではありません。著者である伸六氏の資質ということでもありましょうが、ある種の特殊な環境が大いに本書の性格を設定していると、私は考えます。

好きでもない父親。あるいは憎んでさえいた父親。子供の頃(小学2年生ぐらい)に漱石が亡くなっている。父親の著作を改めて読み直して父親を再発見する。

特殊な環境と私が呼ぶものです。本書に描かれている話として、注目されるのは、伸六氏が小さい頃、縁日で父親である夏目漱石に怒られた場面。今で言えば虐待であり、下手をすると伸六少年が死んでしまうかもしれない、ひどい折檻です。周りの大人たちも唖然として声がでなった、ということです。

ただ注意して欲しいところは、そのそこにはやはり親子である深い情愛が流れていること。厳しくもあり優しくもある筆者夏目伸六氏の独特の目が、本書に他の身内本にはない深い人物洞察を与えている訳です。その目は父親である漱石はもちろん、伸六氏の母親(漱石の妻)や漱石を取り巻く多くの人々(弟子達など)に向けられています。

先にも書きましたように、本書「父・夏目漱石」は身内による人物評伝というよりも、文芸評論的な側面もあります。消えた漱石の遺骨など、本書だけでも十分楽しめますが、漱石の作品のいくつかを読んでおくと、さらにその楽しみがますと思います。漱石の自伝的な要素も描かれている「行人」や晩年(漱石は50才とで死去)のエッセイ的な「硝子戸の中から」などがおすすめです。

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