4月によむ俳句は

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東京での桜の開花が例年よりも随分と早く、3月中には散ってしまうと思っていましたが、幸いというか寒い日が2、3日続き、今日の日曜日あたりまでは十分に花見桜が楽しめそうです。私もこの記事を書き終えたら、出かけてみたいものです。

さて4月も気が付いてみればすでに中旬に入ろうとしています。今年は10連休もあるので、来週から仕事が忙しくなるひとも多いのでは。春気分も今日迄かもしれませんね。その前に、本日は、俳句で4月を楽しんでみたいと思います。

俳句での季節区分は、3、4、5が春となります。ですから4月の季語としては仲春や陽春が代表的なところです。春宵などは、これから日が長くなり暖かくなる夕方近くを表現するものとして、私としては好きな季語の一つでもあります。

うどん屋の隅に落着く春の暮 今野節子

先にも書きましたように、私として春の時刻として好きなのは、夕方近く。暖かくもあり寒くもあり。ウキウキした気分でもあり、何か物悲しくもある気分。いくつかの要素が入り混じったこの時刻の感じが好きなわけです。

うどん屋さんの人には失礼ではありますが、うどん屋という言葉にはそれほどの情緒も普段は感じません。俳句でも珍しい言葉だと思いまして、今回は取り上げてみました。うどん屋ではありませんが、うどんというと春に結びつく思い出が私にあることも、この句を取り上げてみた理由です。

私の生まれ育ったところは、東京の西多摩郡とよばれる地域です。その地域でも特に埼玉県境に近い山間部の農村であり、秩父や飯能がすぐ近くです。従いまして、風習的には埼玉に似通っています。そしてその風習の一つがうどん作りなのです。手打ちうどんです。

この地域の各家庭では、うどんは家で自作するものでした。うどん粉をこねて、そしてそれを足で踏みならし、最終的に麺棒で押し広げて包丁で切る。この作業工程は、自分の家では祖母が一人で行なっていました。なぜかしら、春となるとこの手打ちうどんを作る機会が多くなり、そこでうどんと春が自分の記憶の中で強く結びついているわけです。このような文章を書きながら、そのうどんを2度と食べられないことを思うと、なんとも寂しいことではありますが。

目撃者捜す看板花の雨 杉江美枝

花の雨が4月春の季語。俳句らしくない俳句なのですが、最近私自身の経験として、目撃者捜しの看板をいくつもみたので、ここに掲載してみました。昨日道を歩いていたところ、立て続けに2つの目撃者求む看板をみました。交通事故の目撃者ですが、一つはひき逃げとあり、凶悪な人間がこの道路を運転していたかと思うと、空恐ろしい気分です。

住宅街を走るこの道ですが、以前から危ない道だと思っていました。よくある抜け道的なもので、大して広くもない道を車がかなりのスピードで走り抜けていくわけです。抜け道的な道路を走る連中というのは、ある意味セコイ人間が多いのか。ひき逃げ看板を見て、その思いを一層強くしたわけです。

風光る野川に添ひて子らの声 水原春郎

最近私自身、春の小川を主題として絵を一枚描き上げたところですので、この句を選んでみました。東京都心の川は、私のような山育ちの人間としては、信じられない光景です。高いコンクリート壁に囲まれた川。これが川と呼べるのかどうか。どうしてこのようになってしまうのか。理由はそれなりに理解できます。地面のほとんどがコンクリートで覆われた都心では、雨水が下水管を通じてそのまま川に流れ込んでしまうので、あっという間に増水してしまうから。杉並区、中野区を流れる妙心寺川が氾濫した時は、近くに住んでいたので、その被害の大きさも実感しました。

今度引っ越してきたところは、練馬区の外れの外れ。まだまだ田舎風情が残っているところです。流石にこの地域を流れる川は、都心の川とは大違いです。まさに野原を流れる川の風情であり、場所によっては川の流れを直接手で感じることさえできます。幸いにして描いた絵は多くの人に好評であり、思い出の川としてこのような風景をそれぞれの人が抱いているのでしょう。

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