個立時代を生き抜く読書術

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読書術に注目が集まっています。こんな本が売れない時代に不思議だなと思うのは、よっぽど社会を知らない人です。不必要な本が売れなくだっただけで、価値ある本への欲求はかつてないほど高まっています。価値ある本を見つけ、その価値を効果的に吸収するための読書術が注目されるのは、逆に当然のことなのです。

ではなぜ価値ある本への欲求が高まっているのでしょうか。それは、現在が個立の時代だからです。中国と日本のGDP比較のグラフをみたことがありますか。2011年ごろは同等であったものが、10年も経たない現在は、中国のGDPは日本のそれよりも3倍も大きくなっています。近い将来には、10倍ぐらいまで差が開いてもおかしくない状況です。それというのも、日本のGDPは波間に浮かぶ泡のように浮いたり沈んだりしているだけですから。

はっきりいえば、現在の日本の状況は流れが止まった社会。停滞している社会です。社会全体が動いている時、流れができている時には、私たちはその流れに乗っていれば、それなりに生活を楽しむことができました。流れが止まった社会では個々の人が自分で流れを見つけたりあるいは自分で流れを作る必要があります。個立の時代なのです。

この流れを見つけたりあるいは作りだすために必要なことの一つが、価値ある本を見つけ出し、その価値を十分に身につけること。つまりは読書術なわけです。そして個立時代の読書術は、当然ながら他の時代とは異なったものです。

個立時代の読書術とは自分で発明するもの

これが独自の特徴です。ここまでこの記事を読んできた人には、ちょっとがっかりな話かもしれません。もっと具体的な話が聞けると思ったのに。しかしこれは事実であり、このことを抜きにして読書術を考えても意味はありません。ただこれで終わってしまってはあまりにも申し訳ありませんので、自分で発明するためのヒント的な話をすることにします。

・それぞれの本にはそれぞれ適した読み方がある
当たり前のように思えますが、これは重要なことです。読書術で有名なものの一つとして速読というものがあります。普通ならば読むのに2、3時間かかる本を10分ぐらいで読んでしまうというものです。実は別段速読の訓練をしなくても、誰でも簡単に速読はできます。速読に適した本を読めば良いだけだから。速読に適した本とは、何かについて知れば良いというものです。具体的には、例えば世界経済の状況などを解説した本。目次を読むだけで、この種の本の内容は大体はわかります。筆者がどのような立場で話を進めているのか。そして結論はどのようなものなのか。目次の気になったところは本文を拾い読みする。このような方法で、普通の読み方で、10分もあれば内容を掴むことはできます。

小説なんかは速読しても意味はありません。作家は小説で何かを主張したい訳ではありません。たとえは適切かどうかはわかりませんが、小説は作家が作った遊園地のようなもの。色々な乗り物に乗ったりして、楽しむものです。遊園地に何があるかだけを眺めて急ぎ足で通り過ぎる人はいないでしょう。また同じ遊園地になんども行く人がいるように、同じ小説を何度でも読むこともまた楽しみの一つです。

・読むことは書くこと
学校教育というものは基本的に受動的なものです。何事か新しいことを先生が説明し、生徒はそれを聞いて理解する。このような仕組みです。ですから大人になっても同じような枠組みから抜け出すことは難しいものです。本を読んで理解する、これで満足してしまう人が多いのも、当然なことです。しかしそれでは本当に学んだことにはなりません。

私がよくやる訓練方法です。木が育っている公園に行って、ベンチに座り目の前の光景を眺めます。1、2分程度。次に目をつぶり、目の前の光景を頭に浮かべてみます。どうでしょうか。例えば目の前にある木。幹はどこから別れているのでしょうか。頭に浮かべてみることで、どのくらいよく自分がその光景を理解しているかがわかります。再び目を開き、同じことを何度か繰り返すと、ほぼ完璧に目の前の光景を頭の中で再現することができます。

読書も同じで、ただ読み終わるだけでは読書が完了したとは言えません。要約が書けるようになるのはもちろんですが、できればその本に対しての批評文が書けるようにもなりたいところです。面倒なことと思えるかも知れませんが、その本を読むのにそれなりの時間をかけている訳ですから、その時間を無駄にしないためにも、書くことで理解をさらに深めることが必要です。

・自分メディアを持つこと
先に書きましたように、読むことは書くことと一体となってその成果を発揮することになります。ただ書きぱなしのままですと張り合いもないし、自然とつまらなくなって書くことをやめてしまうものです。ですから、多くの人はアマゾンの書評とかSNSあるいはブログサービスに書いたものを投稿して、書くことの動機付けとしている訳です。

私からみると、実に勿体無くもありまたその意図もよくわからない行為です。同じ書くことを発表するのであれば、なぜ自分個人のウェブサイトを持たないのか。最初に書きましたように現在は個立の時代であり、当然各個人が自前のメディアを持つべきなのです。まあそれも昔のようにウェブサイトを持つのに高額な費用が必要ならば話は別ですが。

自前のサイトで発表してもみにくる人がいないのではないか。アマゾンあるいはその他のサービスを使えば、自動的にみにくる人がいるので。そのような理由でしょうが、逆に私としてはだからと問い返したいところです。

自分のメディアでは全く自分自身でコントロール可能。書いたものがどのくらいの人に読まれているのかどうか。書いたもののうちで何が人々の関心を読んだのか。すぐさまわかることができます。他人のメディアなどは宣伝の時ぐらいに利用すれば良いだけです。

さて自分で読書術を発明するための基本を書いてきました。他の人が書いた読書術に関しての解説書を読むことも決して無駄ではありませんが、根本のところで、自分で自分の読書術を発明するのだぐらいの意気込みで、常にいて欲しいところです。

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