令和で考える日本の歴史

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新元号が令和と決まりました。元号自体についての議論も盛んになっていますが、私の興味は、元号とその時代の社会情勢との関係です。どの元号の時はどのような社会であったのか。元号で日本の歴史を改めて考えてみたいと思います。

まず元号とはどのようなものかを理解していきたいと思います。元号というと太古の昔から使われている感じがしますが、歴史的な時間軸で考えてみる意外と新ものです。また現行制度である一天皇、1元号も明治時代以降の話であり、それまでは、社会的な大きな変動(天災など)があると、随時改元されてきました。元号には本来的には社会を変革したいという希望であるともいえます。

では具体的に、元号とその社会情勢との関連をみていきたいと思います。歴史全体的にみて、残念なことがあります。人々の記憶に残るような元号の多くは、天災、人災あるいは社会騒乱に結びついていることです。もちろん良い意味で記録されている元号もありますが。例えば天平や元禄。天平文化など文化的に充実した時代の元号です。ここで余談とはなりますが、元号を使うのであれば、やはりちゃんと使うべき。例えば関東大震災などは本当は大正関東大震災であり、3.11の東日本大震災は平成東日本大震災。元号は時代の目印であり、その役割をしないならば、使う意味はないわけです。政治的宣伝など、自分たちに都合よく使うのが元号ではありません。

ここから個別に主な記憶に残っている元号をみていくことにします。わかりやすいように時代区分も添えておきます。

・大化(飛鳥時代):645年使用開始し6年間継続
日本最初の元号。これまではある意味有力な豪族の一つであった天皇が、王としての立場を確立したのが、この時期です。天皇と元号の結びつきができた年でもあるわけです。新しい時代に向けての新しい体制を表現する。元号が本来的に持っている意味は、この時からのものです。

・和銅(飛鳥時代):708年使用開始し8年継続
日本で最初の流通貨幣とされる和同開珎で覚えられている元号。現在の秩父地方に銅山が発見され、その銅を使って貨幣を作り、それの記念としてこの元号にされたとされてますが、これにも諸説があるようです。

飛鳥時代の元号の特徴としては、元号が設定されていない年が結構続いていることです。孝徳天皇がなくなった後の32年間や天武天皇後の15年間など。この事実が何を意味するのか。時間ができたときに改めて考えてみたいものです。

・天平(奈良時代):729年使用開始し21年継続
個人的な感想ではありますが、この元号の語感と時代風景がぴったりあっているように思います。奈良時代最盛期のごの元号時代は、東大寺や唐招提寺などの文化的な価値を生み出した時代でもあります。

・延暦(奈良時代):782年使用開始し25年継続
奈良時代最後の元号であり、次の平安時代につなぐものです。私たちとしては延暦寺でこの元号を覚えているわけです。延暦13年に今の京都に奈良から都が移り、時代としては変化が開始される時です。

奈良時代の元号の特徴はどのようなものでしょうか。面白いと思ったのは、主な改元の理由です。背中に縁起の良い言葉が書かれている(模様がそのように見える)朝廷に献上されたり、あるいは蚕が縁起の良い文字を書いた(桑の葉の食べたあとか)ことで改元されたりなどです。この時代の流れを読んでゆくと、疫病により大きく変化していくことがわかります。例えば時の権力者であった藤原氏の4兄弟が次々の疫病(天然痘)で死亡していくなど。有効な病気治療薬がない時代ですので、ある意味迷信的なものに惑わされたともいえます。ただし逆に空海が唐に渡るなど、本格的な仏教が始まった時代とも言えるでしょう。

さて元号はまだまだ続くわけですが、記事が長くなりすぎたようです。続きはまたの機会ということで、今回記事はこれで終わることにします(次回の記事は元号インフレの平安時代)。元号というものも改めて調べたり考えたりすると面白いものですが、この本来的な意味がかすれてしまう、昨今のマスコミ馬鹿騒ぎは、本当に困りものです。

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