逆賊大伴氏の復権?

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新元号の騒ぎは未だ続いているようです。マスコミの馬鹿騒ぎも殺人や天災、人災の話よりもまあ愛嬌があるということで。令和については人それぞれなので、私としては特別なコメントはありません。そのようなコメントを期待している人もいないでしょうから。私として個人的に興味があるのは、政府が言っていることを信じるならば、この言葉が万葉集の大伴旅人によるある和歌に対しての序文から取られたことです。

大伴氏については聞いたことのある人も多いかと思います。万葉集編集で中心的な役割を果たした大伴家持などは有名です。しかしこの大伴氏がどのようになったかまで知っている人は少ないでしょう。急に歴史の表舞台から消えてしまったから。ただ美術史では、大伴家の行く末はよくわかっています。絵巻絵画である、「伴大納言絵詞」にその行く末が描かれているからです。

上記の絵巻で描かれているのは、応天門の変と呼ばれる、応天門放火事件のことです。平安時代前期の866年に起こったとされる事件であり、紆余曲折の末、首謀者として伴善男(伴大納言)が捕らえられ流刑となりました。伴というのは大伴氏のことです。

古代からの有力豪族であった大伴氏はこれでその勢力を完全に失うことになりました。天皇に対しての反逆罪という、たいそう重い罪であり、まさに逆賊として歴史から追放されてしまったわけです。

歴史的な視点から言えば、これは藤原氏がその権力を手中に収めるまで、色々と行ってきた陰謀事件の一つだとされています。つまりは大伴氏はハメラレタだけということ。今でも政治の世界でよく起こることでもあります。

大伴氏が逆賊かどうかはまさに歴史の闇であり、その真相はわかりません。ただし公式的には逆賊のままであり、特別に復権されたという話も聞いたことはありません。だからこのよう一族からの元号の由来を求めているのは間違いだ、というわけでもありません。むしろ喜ばしいことではあります。

元号そのものに対しての意見が色々あることは知っています。生活の利便性からいえば、なくても良いものかもしれません。しかしながら、この国の歴史を改めて知る機会としても、それなりの役割は果たしていると思います。最後に大伴家持の代表的な和歌を掲載しておきます。

うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しもひとりし思へ

 

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