不機嫌な武満徹

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大江健三郎氏の「晩年様式集」を読み直しています。他に書くことはないのか?と言われそうですが、最近は大江健三郎氏がらみの話をよくしています。書くことがないというのも一つの理由ではありますが、別の理由もあることは確かです。大江健三郎氏の人生の習慣を真似している。理由です。

氏のいうところの人生の習慣とは、小説では書き直しであり、読書では読み直し。ところが自分の場合は、それこそ何事もやりっぱなしです。能力もない私が大江氏の真似をしても意味ないことかもしれませんが、試してみる価値はあるなと、思っている次第です。

小説は私は書きませんので、試しているのはもっぱら読書の方面で。今読み直しているのは、まさに氏の最後の小説である「晩年様式集」です。最初に読んだときはそれほど気にならなかったところも、妙に気になるところが出てきます。特に私が気になっているのは、小説中のこの箇所です。もちろん、小説なのでそのまま事実ではないにしても、その意味がよくわからないのです。まずその箇所を引用してみます。

ーーーーー以下引用

篁さんがふらりと家に寄られた際、「空の怪物アグイー」の音楽家のモデルとしたことはそれとして、あの短編自体が好きだといっていられたので、届いていたそれが原作のビデオを一緒に見たんだ。終わったあと、テレビ・ドラマのおしまいに流れたアカリの「アグイーの主題」を自分で弾かれた。不機嫌で、僕をチラリと一瞥して、そのまま帰られた。

ーーーーー以上引用

これだけの文章だと、全く何をいっているのかわからないと思いますので、ここで少し説明を加えておきます。「空の怪物アグイー」は大江氏の初期の短編のことです。

新進気鋭の音楽家に子供ができましたが、その子供は脳に障害を持っていました。医者と相談して、その子供を殺してしまうのですが、それが原因でその子供(空の怪物アグイー)の幻影を見るようになり、不可解な行動をするようにその音楽家がするようになります。その行動を心配した親が、監視役として学生アルバイトを雇うことにしました。その学生がこの物語の主人公です。結局、音楽家は幻影を追うようにして自動車事故にあって死んでしまいます。

篁さんというのが、この小説の音楽家のモデルであり、実際は作曲家である武満徹氏なのです。

個人的に武満氏を知っていたわけでもないのでなんとも言えませんが、氏の感じからすると、「不機嫌で一瞥して去った」が不可解なのです。この場面は、むしろ良い感じがするのですが。アカリというのは大江氏の長男の仮名。実際に脳障害を持って生まれた子供であり、「空の怪物アグイー」の直接の子供モデルです。小説とは違ってちゃんと生きて、作曲までするようになっています。その子供のある意味記念すべき作曲公開がこのテレビ番組なのです。

これは全くの自分の考えなのですが、武満氏は小説の中身には満足していたのかもしれませんが、その題名に違和感を覚えていたのではないか。知的障害を抱えながらも現に作曲までするようになった、その子供。その子供を空の怪物とよんでしまう大江氏に不機嫌になった。そういうことではないでしょうか。武満氏がすでになくなってしまった今、確かめることもできずに、永遠の謎。

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