現実+虚構=大江健三郎を楽しむ

Posted on

大江健三郎氏の自選短編:岩波文庫を読みました。短編小説に興味を持つようになり、その流れです。氏の作品は読まなくなって久しいと自分では思っていたのですが、初期、中期、後期と分類されている短編小説のほとんどを読んでいたので、これは自身でもびっくりな事実です。

流石に長編となると読んでいない本も多く、最近はこの長編小説を読み始めています。自選短編では年代順に読み進めていきましたが、今度の長編小説読みでは、逆に新しい時代から古い時代に向けて読むことにしました。ご存知のかたも多いかと思いますが、氏はすでに小説は書かないと宣言しており、もう新しい小説は登場しないから。

氏の小説家としての出発点となった作品は、「奇妙な仕事」です。病院での犬殺しという奇妙なアルバイト仕事を請け負った学生の話です。小説自体の面白さは別として、この作品が興味深いのは、大江健三郎氏のその後の小説的な展開を予見させていることです。小説の出発点となったのは、病院に入院していた友人の話。夕方になると病院で飼われている犬たち(実験用)が、夕方になると一斉に遠吠えをする。このような話です。この事実から出発して、想像力を使いながら新しい小説を書き上げたわけです。事実(現実)+虚構の世界の誕生です。

氏の小説手法の特徴のもう一つとして、書き直しがあります。すでに書き上げた小説を書き直すことでまた別の小説を書き上げる、そのような手法です。もちろん単なる書き直しではなく、書き直すことで氏の小説の方向性もまた変化することになります。その変化を端的に表すのが、先に書いた自選短編集の初期編の最後にある「空の怪物アグイー」です。

障害を持って生まれた子供を死なせたしまった作曲家。その作曲家がノイローゼに陥って曲を作ることもやめて、あちらこちら徘徊するようになる。それを心配した親が、この作曲家の監視役として学生アルバイトを雇う。その学生の話である。奇妙な仕事と大枠では同じものです。

違うところは何か。氏自身が知的障害の子供を持ったこと。小説に登場する作曲家に実在のモデル(武満徹)がいること。事実+虚構の構造は同じだとしても、自分と自分自身の周りの人々がこの小説以降、事実条件としてより強く小説世界に入り込んできます。氏の子供は実際は生き続け作曲家となり、またモデルとなった武満氏の現実も小説とは全く違うものですが。

さて長編小説の話です。まず読み終えたのは、「晩年様式集」です。公式的には、大江健三郎氏の最後の小説です。本当はと言えば変なことですが、この小説の前作である「水死」が氏の最後の小説となるはずでした。前言を覆してその後この晩年様式集を書き上げたのは、直接的には3.11があったから。特に原発事故により放射能が拡散していったことがあったからです。これらのことから、反原発プロパガンダ小説だと考えるひとがいるかもしれませんが、そのような単純な小説ではないことは確かです。

この小説も大枠のところでは、現実+虚構の話となっています。ただすでに書きましたように、それぞれの小説でその中身は変化して行きます。今は「水死」もそろそろ読み終える頃であり、同じような主題を扱いながらも、その変化を味あうのも楽しみの一つ。

晩年様式集を読みながら、なんども笑ってしまいました。考えてみるに、大江氏の小説をこれまで読んできた経験の中で、笑ったことがあるのだろうか。この小説を読みながら考えてきたのは、このことです。なぜ、笑うほどこの小説が面白いのか。語られている内容はシリアスなのに対して。

これは私の考えですが、現実と虚構の入れ替わりが、この小説を面白くしている要因ではないか。これまでの小説ではあたかも事実だとされていたことには、実は語られていないことがあった。空の怪物アグイーでの作曲家のように、実在の人物をモデルにしながら、小説の中での行動や性格は全く別のものとして描かれる。そのようなモデルが、この小説では真実の姿を表してくる。などなど、です。

新しい展開が見えてきたところで、これが最後の小説となってしまう。残念というよりも寂しい気持ちです。ただ現在の私にとっては、ちょうど良い時期に出会った本でもあり、大江健三郎氏が常に行なっているように、何度でも読み返して、楽しみを新たにしていきたいものです。

(Visited 1 times, 1 visits today)