SNS発言病を自己診断する

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それぞれの人で今の最大の関心事は異なると思います。恋愛、金儲け、あるいはなど。しかし共通した関心事があります。それが健康というものです。確かに体が元気な若い時は、健康そのものに対しての関心事は少ないですが、それでも、異性にモテるために体を鍛えるなど、健康関連の話には興味を持つものです。

新聞やテレビなど旧メディアは老人専用となったのか、膝の痛みを解消するなどの健康食品のCMばかりのようにもなっています。まあそれだけ健康に対しての関心が深いということでもありましょう。

これらの動きで私が感じている不思議なことは、健康=体という話が圧倒的に多いことです。体の健康が重要なことはもちろんですが、忘れてはいけないのは精神あるいは心の健康です。体の健康に関しては、最近は自治体も力を入れおり、それほど高額でもなく体の検診(例えばがん検診)などが受けられるようになっています。私ごとの経験ですが、このような検診で体の不調が発見され、早期治療に結びつきました。

体の健康に関しては制度的な体制の充実が進んでいますが、精神あるいは心の検診に関しては、全く進んでいないのが現状ではないでしょうか。やっているとしたら、高齢者ドライバーに対して警察が行なっている認知症判定ぐらい。

自動車の運転に関しては、精神の状態がそのまま結果として現れるので、理解しやすいところがあります。しかし、精神の状態がそれぞれの人の行動に大きく影響するのは、運転だけではありません。特に最近は、それぞれの人が社会的に発言する機会が増えています。例えばSNSなどです。この発言にも実は健康が大きな影響を及ぼしており、人によっては以後の人生を無駄に過ごさざるを得ない重大な事故と言っても良いようなことを引き起こしています。

精神あるいは心の健康診断というものが必要であることは確かですが、しかしそれを実際に公的な機関で行うことは不可能です。できたとしても、それは明らかに行動として発現するものでなければなりません。そうでなければ、ナチスや旧日本政府が行なっていたような、思想調査とその結果としての拷問や集団殺戮に結びついてしまうから。

ですから、心の健康に関しては、自分で検診し問題があれば自分で修正する必要があります。もちろん、これはかなり難しい作業となりますが、自分自身の人生を満足して送るために、絶対に必要なことなのです。

それほど重要な自分自身で心の健康診断ですが、どのように行えば良いのでしょうか。もしTwitterなどのSNSを利用しているならば、その利用状況(発言内容)を自己批判してみれば、割と簡単に診断はできるものです。具体的な例証で確認していきたいと思います。

■症例1:
何が私の意見に文句が出ていますが、既に死んだ人のことなど、どうでもいいです。運がなかったか自己防衛が足りなかったのではないでしょうか、ドンマイ。笑

あの福生病院に対してのコメント(病院擁護)から見つけたもの。SNS発言病でもっともよく見受けられる症例です。匿名性という殻で自分を守りながら、読んだ人に不快感を与えるだけを目的とした発言です。別段ここでこの発言者の身元を暴いてみるなどの興味は私にはありませんが、一連の発言でわかることは、全て同じ調子の誹謗中傷的なものです。これは極端な例かもしれませんが、自分の一連の発言を追ってみることで、自分はどのような人間か、わかるかもしれません。不満足な自分の人生を自分自身で解決することもなく、ただ他人の悪口を言うことでその不満を解消する。そのことが自己診断でわかれば、また別の方向に行くかもしれません。

■症例2:
患者の訴えがまかり通れば、医師不足、看護師不足に拍車がかかり、本当に助かる命も助かりません。本当に苦しんで治療を望み病院を探している方々のいい迷惑、情報の混乱の元です。

これもよくある発言病の典型の一つですね。この症状を診断するときは、2つの特徴に注意する必要があります。良い人間、悪い人間と単純に区分けする思考方法と、根拠がはっきりしないデータで自分の意見を補強する考え方です。これも福生病院関連の発言から見つけたものですが、透析治療を中断された患者さんは、病状が深刻化しているので治療の必要はない、と言うのがこの主張の根本です。必要ない理由として、医者不足、看護師不足を主張しています。

この種の発言をする人の特徴としては、肝心な根拠を示してはいないことです。この人の発言録も調べてみましたが、結構、短期間に色々な病院に治療のために通っているようです。この事実からすると、自分は本当に治る患者で、治療中止の人はそうでないが、本当のこの人の主張したいことです。であるならば、その主張できる根拠も示す必要があります。このようなくだらない発言をこの先何十年も繰り返すような人が、他の人の生き死に関してなにほどかの発言をできるほどの価値があるのかどうか。そもそも人を判断する価値があるのかないのか。自分だけは特別な人間だと思い込むこと。症例1の人に比べると、症状はかなり重いのかもしれません。

■症例3:
自己の病気について、SNSで発表することあるいは発信すること。

正直なところ、この種の発言を症例的な病気として分類することには、私自身は随分と悩みました。しかし、先の2例はほとんどの人にとっては関係ないことであるに対し、この症例?は誰にでも起こりうることなので、敢えて取り上げることにしました。

私自身でも癌の宣告を受けた経験があります。その時思つたことは、2つのことです。全く誰にもこのことを話さないか、生活に直接影響のある家のものだけには話す。この2つのことだけでした。その当時からSNSを使っていましたが、そこで自分の病状を発言するなどは、頭にも浮かばなかったものです。

ですから実感として、自分の病状について発表することが、わからないのです。もちろん、わからないからといって、そのような人たちの行動を非難するなどは論外の話ではあります。

重篤な病気になった時、経験すれば誰にでもわかることですが、最初に襲ってくるのは、もちろんのこと死への恐怖です。しかしよっぽど想像力がある人でなければ、この恐怖は自然消滅してしまいます。それも当然のことで、生きている間に死を経験することはなく、死んでしまえばもう死は問題ではなくあるから。それよりも苦しめるのは、実際的な経験であり、その第一は孤立感です。別段、他の人が差別すると言うのではなく、自分自身で孤立感を深めてしまいます。

あくまでもこれは自分の想像にしかすぎませんが、ここで登場してくるのが、SNSなのではないか。病状を発表して、それに対して多くの励ましの言葉が寄せられる。生きる意味を再確認し、病気に立ち向かう自分自身の励ましにもなる。ある意味では、SNSの良いところが存分に発揮されるところかもしれません。

しかし、私が敢えてこの話を症例に入れたのは、それなりの理由もあることです。一つはSNSが1、2の症例からもわかるように、大きく変質していることです。これまでもネット上での暴言の数々を見聞きしてきましたが、死者に対しての発言で(笑い)などの表現は聞いたこともありません。このような場に、自分の病状を発表する意味があるのかどうか。

殺人事件を実況放送するぐらいのSNSについては、過度の期待を持つのは危険であると。そのぐらいの判断力がないと、自分自身の精神的な健康状態を保つのは難しいのではないかと思う、今日この頃です。

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