図書館の楽しみ方

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最近読む本のほとんどは、電子書籍です。好んでというよりも必要に迫られてがその理由です。私ごとではありますが、よく引っ越しをします。若い時はそれほど感じませんでしたが、引っ越しで特に苦労するのは、所有している本です。引っ越し準備でこれらの本を整理するのが、精神的にも肉体的にも、しんどい作業となってきているのです。そこで、思い切って、すでに所有している本は処分して、新たに購入する本は、全てデジタル書籍にしたわけです。

紙の本(奇妙な言い方)で育った私としては、紙の本を読みたいのはもちろんのことです。また最近は急激に読む本が増えたので、それを全部購入していたのではお財布的にかなり苦しいところです。そこで最近よく活用しているのが図書館です。幸いにして、今度引っ越してきた家の近く(歩いて1、2分)に図書館があるので、かなり便利でもあります。

図書館については不満を持つ人もいることでしょう。借りたい本がない、というのもその不満の一つかもしれません。私は練馬区の図書館を利用しております。これはつい最近発見したことですが、同じ区立の図書館でもそれぞれの図書館で蔵書の種類には相当な違いがあることです。あくまでも印象の話ではありますが、例えば練馬区立図書館の一つである中村橋にある図書館は、文芸書が充実しています。最近読んで気に入った本の一つに、Ishiguro氏のノーベル文学賞受賞記念講演というものがあります。機会があればご紹介したいと考えておりますが、この本を見つけたのは、当の中村橋にある図書館でした。この前まで住んでいた場所の近くにある南田中図書館にはない本です。

正直なところ、このことに関してはかなりのショックでした。勿論、区立の全図書館で全て同じ本を用意するなどは難しいことではあります。しかし同時に、住む場所で得られる知識が違うことは、これはこれでどうなのか、ということです。

そこで、私がもっぱら使っている方法が、図書館が整備している本の予約システムを活用することです。普段はお役所仕事などといって行政機関の働き具合については否定的な考えを持っている私ではありますが、このシステムはよくできているし、また実際的でもあります。

これはシステムの問題ではありませんが、予約システムを使うには少しの工夫が必要となってきます。最近刊行された書籍については、多くの人の予約が入りますので、こちらは避けるべきか自分で購入するのが、ストレスがなくまたその本を読み逃すこともないので良いでしょう。予約した際に、そのような予約が殺到している本では予約待ちのサインが出ますので、すぐにその予約はキャンセルしてしまいます。

全ての本がそのような状況ではありませんので、それほど心配することもありません。まして新しい本が良いというわけでもありませんから。最近は個人的に興味があって大江健三郎氏の本を読んでいます。あとは多和田葉子氏の本についても。こちらの本については予約して翌日ぐらいには、図書館で受け取ることができました。古典的な本については、ほとんどの場合予約待ちはありません。先に書いたことの繰り返しにはなりますが、ビビットな話題の本(現在人気を集めているもの)については電子書籍で1、2分で読み始める。古典的な本については図書館を大いに活用する。この方法が私が実際に試してみたところでは、最良のものだと思います。

ここまではあたかも練馬区立図書館の宣伝的な話となりましたが、これが今回記事の主題ではありません。主題はタイトルにある通り、図書館の本。書店で売っている本でもないし、また個人で所蔵している本でもありません。図書館の本です。

イメージとしてあるのは、最近なくられたイタリアの作家であるウンベルト・エーコ氏の代表作の一つである、薔薇の名前です。とある中世の修道院図書館に秘蔵されていた一冊の本が巻き起こす殺人事件。これがこの本のテーマです。秘蔵されたいたのはアリストテレスのある本(記憶に間違いがなければ)ということになります。

図書館の本が他の本と違うところは、今手にしている本を多くの人が読んでいたということです。誰が読んだのかはわかりません。何よりもだからどうなんだという話でもあります。しかし、何か不思議なものを感じるのは、確かなことなのです。否、むしろ読まれない本に図書館の本らしさを感じるのかもしれません。

例えば今図書館から借りて読んでいる本。今日があの3.11から八年目となる日ではないですが、大江健三郎氏の「晩年様式集」です。震災とそれに続き原発事故がこの小説の直接の主題ではありませんが、この本の成り立ちに大きく影響していることは確かです。氏はこの小説以前に断筆宣言をしており、その宣言を覆すきっかけとなったのが、3.11だからです。

今読んでいるのは文庫本版です。奥付を見ると2016年11月となっています。すでに2、3年は経過しているのですが、読まれた形跡がありません。見た目の感じで、実はすでに誰かがこの本を読んでいるかもしれませんが。そのことを考えないとこととすると、どこかの図書館で読まれることをじっと待っていた本であるとの思いが浮かんできます。これもまたそれがどうしたという話なのですが、そもそもそのような思いが浮かび上がること自体、図書館の本というものの、他の本にはない特性ではないでしょうか。