大江健三郎が第三の新人達を超えた理由

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私としては、芸術作品なのどの表現物に関しては、その優劣を語ることの意味はないと思っています。例えば同時代の画家であるフェルメールとレンブラントを比較して、こちらの作家が優れているなどを議論しても、単なる時間つぶしにしかすぎません。それよりもこの二人の作家の作品を今でも楽しめることの幸運に感謝すべきであろうと思うわけです。

小説作品も確かに芸術ではあります。文芸作品などと言われているわけですから。しかし、単なる表現物というわけにもいかないでしょう。極端な例かもしれませんが、小説を読んで人殺しをする人もいるわけですから。つまりのところ私たちの生き方そのものに大いに影響するものなのです。

であるならば、小説あるいは小説作家の優劣について語ることも、それほど荒唐無稽な話でもないでしょう。誰もがより良い人生を歩みたいと思っているわけですから、その手助けとなる小説を読みたいと思うのも当然なことなのです。

何もここでみんな元気になりましょう的な小説が良いものだというつもりは毛頭ありません。そんな夢物語的なことは、テレビの連続小説的な番組に任せておけばよい話です。人生の真実というものがあればの話ではありますが、私個人として小説に求めているのは、そのところです。それが実話的な物でも全くの架空のものでもそれは関係しません。

さて本題となる大江健三郎氏と第三の作家例えば吉行淳之介氏との比較話に入るとしましょう。最初に断っておきますが、大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞したので優れていると言っているわけではありません。これまでの受賞者の名誉を貶めるつもりは毛頭ありませんが、第一、ノーベル文学賞自体が相当胡散臭いものであることがわかったわけですから。

大江健三郎氏は嫌われた作家である。これが私としてはもっとも優れているところだと思います。最近、大江健三郎自選短篇という本を読んでいます。岩波文庫の本ですが、文庫本としてはかなりのボリュームで、多分読み終わるのは、今月末ぐらいではないでしょうか。先の感想を持ったのは、初期の短篇小説を読んでの感想ですので、この本を全部読んだところでは印象もまた変わると思いますが、ご了承願いたいところです。

大江氏の初期短篇と比較するならば、吉行淳之介氏の「廃墟の眺め」が適していると思います。同じ時代を背景にした作品ですので。大江氏の初期短篇小説、例えば「飼育」や「不意の唖」に比較すれば、吉行氏の小説は随分と読後感よいと思います。もちろん、時代背景も話も悲惨な話には違いないのですけれども。

小説ですので、筋的な話はやめておきます。ご自分で読もうと思われるかたいるでしょうから。ただし内容的なことを一切語らないとするならば、結局のところ何が話されているかはわかりませんので、概略的なところはお話しさせていただきます。

戦後の廃墟の残る町で、小説の主人公は旧知の女性にたまたま出くわしました。そんな街を二人で歩いていたところ、物陰に二人隠れて、ことに及びました。氏の他の小説ならば、ことは最後まで行くことになるわけですが、女性のこわばった態度(拒否の態度ではない)に出会ったことで、その一件も急にしぼんでしまうことになりました。女性とはその後会うこともなかったのですが、十数年後、あることをきっかけとして、その女性のこわばった体とその悲惨な理由が初めて理解できるようになった。このよう話です。

先にも書きましたように、この小説の読後感というものは決して悪いものではありません。廃墟だけを主題とした写真集がありますね。その写真集を見て感じることは、その廃墟を生み出した悲惨な現実ではなく、むしろ廃墟の美しさあるいはノスタルジックな感じです。まさに廃墟を眺めている小説なのです。

大江氏の小説はどうでしょうか。例えば、「不意の唖」です。駐留軍である米兵とその通訳(日本人かあるいは日系アメリカ人か)の一行が、山間部の村に突然やってきます。別段の用もなく、ドライブがてらの訪問です。

最初は友好的に話は進んで行くのですが、通訳と村人との間いいざこざが起こり、村長が米兵により銃殺されてしまいます。そしてその後の通訳はどうなったのか。このような話です。

この本の発売時に読んだ人は、どのような感じを持ったでしょうか。いいよそんなこと。俺たちは早く忘れたいのだから。想像ではありますが、このようなものだったのではないでしょうか。吉行氏の小説がノスタルジックな記憶だとしたら、こちらは救いのない記憶。当然ながらこの本の読後感も苦いものとなります。

戦後の人たちがどちらの小説の方向をとったのか。それは現在の沖縄の問題を見ればわかりきったことです。過去の記憶を美しく飾るのかどうか。時には苦い記憶をかみしめることが、必要ではないのか。吉行氏を代表とする第三の新人と大江氏の小説とを読み比べた時、特に感じることです。

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