未来予測力が欠如した人たちの時代:いわゆる「店員の不適切動画」について

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また最近、店員による不適切動画の問題がニュースなどでもよく報じられています。どうしたのでしょうか。今回はこの問題を考えて見たいと思います。


毎日のように伝えられる劣悪で悲惨な事件の数々。事件の犯罪者の責任は重大ではありますが、これらの事件はまた社会の大きな動きの反映でもあります。この動きがある限りは、同じような事件が将来必ず起こることになります。実際の話、児童虐待死関連の事件などは、もう珍しい話でもなんでもなくなっています。


店員の不適切動画にしても、ある意味ではこの虐待死事件と根っこは同じところにあると、私は考えています。その根っことは、「未来予測力の欠如」です。未来予測力と言ってももちろん占いの能力ということではありません。単純な話で、これこれのことをするとこれこれのことが発生するかもしれない、という考え方です。最近の身の回りの生活で感じるのは、この未来予測力の欠如した人が急激に増えていることです。これは他人の話ばかりではありません。もっと恐ろしいのは、この自分もすでにこの未来予測力が大幅に低下しているのではないかということです。


具体的なところで、話を続けていきましょう。自分近所の周りを自転車で走るのが、少ない私の趣味の一つです。この自転車で走ることも最近は特に注意が必要で、脇道から左右も見ないで飛び出してくる人が多いのです。ちょっと以前では考えられないことです。電車の中でもそうです。いい歳をした集団(中年おばさんか?)が大声でしゃべりまくっています。あまりにもうるさいので2、3度注意したこともあったのですが、なんだこの変態じじい的なことを言われて、それからは別の車両に移ることにしています。つまりのところ、自分のこの行動がどのような影響を生み出すかの意識が全く欠如しているわけなので、何を言っても単に文句を言われているとしか理解できないのです。


このような社会事象が浮かび上がってくると、世相評論家みたいな人が登場して、解決策的な話をするのですが、そのようなことは全く効果がありません。社会全体の動きなので、どんなに個人が発言しても意味がないのです。店員の不適切動画にしても同じこと。こんなことを起こした人たちは、個人情報までもが剥がされて、つまりのところ、一生とは言いませんが長い間、あの事件の人間だとのレッテルを貼られて相当苦しみことになる。それがわからないのです。
寂しい世の中ではありますが、では私たちはどのようにすれば良いのでしょうか。未来予測力を意識して育てゆく以外にありません。未来予測力のない人たちの行動まで予測する力です。自分が優先道路を走っているのだから、相手が止まるのは当然、こんな考えでは、身体的にも痛い目に会います。先の五月蝿い集団の話では、決して何かを言ってはいけません。最良の方法はそれらの人間から離れることです。スマフォ歩きの人間に何かを言ってはいけません。後ろ姿からすぐにスマフォ歩きの人間だとすぐに判断できる力を育成しなければなりません。そしてすぐに自分の歩く方向を決定して、そんな連中に邪魔されないような工夫が必要です。


店員が職場で働く時には、スマフォを持つことを禁止すべきです。残念ですが、個人の良識を信じる時代はとうの昔に過ぎ去っているのです。先にも書きましたように、未来予測力が欠如している人たちの行動は、従来的な考えではもう予想できないのですから。

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